「楽観主義で生きる」ということ/岸見一郎「生活の哲学」

定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「楽観主義で生きる」です。

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できることをする

新型コロナウイルスの感染拡大は止む気配がない。

原発事故の後、世界はもはや決して元に戻れないと思ったのと同じような気持ちで日々を送っている。

アドラーの弟子の一人であるアルフレッド・ファラウが、アドラーから聞かされたという次のようなエピソードのことを思い出した。

ファラウはドイツのダッハウにあったユダヤ人の強制収容所に送られた時、このエピソードを思い出し、収容所にいた人たちに話した。

二匹の蛙がミルクが入った壺の縁で飛び跳ねて遊んでいた。

遊びに夢中になるうち、両方の蛙ともミルク壺の中に落ちてしまった。

一匹の蛙は最初はしばらく足をバタバタ動かしていたが、もう駄目だと諦めてしまった。

ガーガー鳴いていたが、何もしないでじっとしているうちに溺れて死んでしまった。

もう一匹の蛙は足を蹴って懸命に泳いだ。

どうなるかはわからないけれど何とかしよう、できることは足を動かすことだと考えて。

すると、思いがけず足の下が固まった。

ミルクがバターになったのだ。

それで、その蛙はそのバターの上に乗って外に飛び出し生還することができた(Manaster, Guy etal. eds., Alfred Adler: AsWe Remember Him )。

前者の蛙は悲観主義者、後者の蛙は楽観主義者である。

悲観主義者の蛙はすぐに諦めた。

他方、楽観主義者の蛙は、与えられた現実から出発し、その現実の中で結果はどうなるかはわからなくても、できることをするしかないと考えた。

この蛙が助かったのはあくまでも結果論であって、できることをしたからといって必ず助かるとは限らない。

それでも、最初から何もできないと思って諦めてしまったら助からないのは確かである。

この蛙のエピソードはダッハウ収容所の多くの人を無気力から奮い起こした。

多くの人がガス室に送られ生還できなかったが、ガス室に送られる前に、精神的に参ってしまった人が多かった。

エピソードを聞いた人は、自分を楽観主義者の蛙に重ねたに違いない。

顔を上げよう

目下、世界を席巻する新型コロナウイルスのことを考えると、多くの人は無気力に陥っているわけではない。

それでは、楽観主義者かといえばそうでもない。

多和田葉子は、「日本は、じっとうつむいて待っていればコロナは自然と去っていく、と思っている人も多いのではないですか。ただ、うつむいてしまうと、世界の状況が見えなくなってしまいます。うつむいている人たちを揺り起こしたい、危機なんだと揺さぶりたい、大きな風景を見せたい」といっている(「ただコロナに耐える日本は不思議 多和田葉子さんの視点」『朝日新聞』二〇二〇年九月三日)。

危機はいつの間にか去っていかない。

だから、できることはしていかなければならない。

うつむいていたり目を塞いでいたりしていたら、多和田がいうように世界の状況が見えなくなってしまう。

仮に国内だけ感染者数が減っても意味がないのである。

うつむいているのはどうにもならないと無気力に陥っているからではないだろう。

先に見た蛙のエピソードには出てこないもう一匹の蛙を登場させよう。

この蛙は楽天主義者だ。

この蛙はミルク壺に転落したらどうしただろう。

きっと誰かが助けにきてくれるだろう、自分が何もしなくても何か奇跡が起こってこの苦境から脱出できるだろうと期待したに違いない。

しかし、誰もやってこない。

奇跡も起こらず溺れ死んでしまう。

うつむいている人は楽天主義者なのである。

それなのに、なぜうつむいているのか。

自分には関係ないと思いたいからだ。

怖いものを見たくないからだ。

しかし、当然、怖いものは見なければ消えるわけではない。

とにかく、顔を上げないと今自分がどこにいるかもわからない。

顔を上げてみても森の中にいたり、深い霧に覆われていればそれもわからないかもしれないが、少なくとも今はまわりの様子が見えないのだから、このまま歩き続けないで一度立ち止まった方がいいという判断はできる。

しばらくすれば、暗闇に目が慣れてきて少し見えてくるかもしれないし、どこからか光が差し込んでいるのが見えるようになるかもしれない。

そうなれば、少し歩き出すこともできるだろう。

見えないのに歩き出すのは無謀である。

当たらない予言

多和田は自分の小説の中に「危機を感じさせる言葉、呼び起こす言葉」が入ってくるという。

根拠のない安心を求める人はこのような言葉を受け入れようとはしないが、今は危機の中にあるという真実を知ることこそが、かえって日々を穏やかに過ごすことを可能にする。

アドラーはヨナというヘブライの予言者について語っている(アドラー『個人心理学講義』)。

ヨナはニネヴェ(アッシリアの首都)の滅亡を予言するようにという命を神から受けたが、それに従わず船で逃げ出したところ、暴風雨にあい、その責任を取らされ、犠牲として海に投げ込まれた。

しかし、大魚に吞み込まれた後、陸上に吐き出された。

改めて、ニネヴェの滅亡を予言したところ、神は人々が行動を改めたのを見て、この災いを下さないことを思い立った。

しかし、この災いが起こらなかったためにヨナは無用な予言をしたと嘲笑された。

予言者は何が起こるかを予言するだけではなく、何が起ころうとするかを、それが起こることがないよう予言するとアドラーはいう。

今の時代は多和田のような「予言者」が必要であり、危機を感じさせ呼び起こす現代の「預言者」に耳を傾けるべきである。

現実を自分の都合のよいように意味づけることなく、ありのままの現実を見据えることが出発点である。

自分の人生についても、行く手を阻む困難があっても、どうにもならないと諦めず、また、何とかなるだろうと思って何もしないのでもなく、できることをしていくしかない。

どんな結果になっても後悔しないために。

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岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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『老後に備えない生き方』

(岸見一郎/KADOKAWA

2018年から今年3月号までの連載が一冊になりました。読者の皆さんから寄せられた質問を手掛かりに、ギリシア哲学の専門家である岸見先生がアドラー心理学も駆使しながら、より良く生きるための考え方を考察します。

この記事は『毎日が発見』2021年1月号に掲載の情報です。

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