夫婦で穏やかな老後を過ごすと疑わなかった...。50代の夫婦を突然襲った「妻のがん」。子供のいない2人暮らし、家事のできない夫に、がんの妻が「鬼コーチ」と化して料理特訓を始めて...。WEB連載で33万人が笑い、そして涙した「家族の実話」を、藤井さんの著書『僕のコーチはがんの妻』(KADOKAWA)より第2章の途中(全6章)までを抜粋、7日間連続でお届けします。
病気の友を思って泣いた。いも炊きの甘みは愛媛のやさしさ
「ねぇ、愛媛に行かん?」と妻が言う。
愛媛県松山市は、2002年から2005年まで3年間をすごした思い出の土地だ。
暑さもやわらいできた9月中旬、大阪の自宅を自動車で午前10時ごろ出発。
淡路島に入ると広々とした海の風景にホッとする。
愛媛から大阪に転勤した2005年ごろ、海のある暮らしが懐かしくて1年ほど淡路島に別荘を借りたのを思い出す。
愛媛県に入り、東温市にある安国寺という寺に立ち寄った。
10年以上ぶりに会う浅野泰巌和尚はだいぶやせたが、ひょうひょうとした語り口は昔のままだ。
養女に迎えた女性をがんで失い、そのことに今も苦しんでいるようだ。
臨終の1日前の姿をビデオに撮ったという。
彼女の生きたあかしにするためにつくった本『片肺飛行虐待、DV、化学物質過敏症、末期癌の十字架を背負って』(浅野妙子著、創風社出版)は、葬儀会場のカトリック教会に届けられ、お棺に納められた。
「仏教もキリスト教も同じだから、キリスト教に改宗してもいいかなあって思うんよ」
妻は迷ったようだが、自分の病気のことは話さなかった。
翌朝、内子町へ。
白壁と格子戸のある町並みをならんで歩いていると、15年前にもどったようだ。
竹籠かごをつくる工房や、発酵食品の店、ドイツ料理店や若者向けのゲストハウスもできている。
妻が急にもじもじしはじめた。
「トイレか?」とたずねると、うなずく。
「せっぱつまり子、か?」と言うと、
「あぶら汗かき子、や」
道の駅「からり」のレストランに入ってトイレをすませると、すっきりした表情で、内子の豚肉をつかったスペアリブなどをたのんだ。
前菜とサラダ、スープは食べ放題。
地元の野菜をつかった前菜はどれもおいしい。
松山市に立ち寄って、昔住んでいた家をながめ、毎週のように通っていた道後温泉へ。
雅子ちゃんと慎ちゃんという友人夫妻の営むアンティークの店を訪ねた。
2011年ごろ妻はブログ「レイザル新聞」で雅子ちゃんと自分を比べてこんな記事を書いていた。
昨年はいろいろ私の名前が変わった1年だった。
性格と体格が朝青龍に似ているからドルジやドル子、性格の荒さから「雑子(ざつこ)」としまいには呼ばれるようになった。
おっとりとした性格でセンスも良い(しかも細い!)雅子ちゃんに因んで(?)の命名だ。
「雑」と「雅」、左っ側がちょっと違うだけなのに、なんなんだ、この差はっ!
雅子ちゃんは病気で長らく店には出ていないと聞いていたが、最近は旅行もできるようになったという。
「よかったぁ......」と言うと、妻は泣き出した。
「雅子ちゃんのつらさは本人しかわからないから、何を言ってもむなしい気がしてた。私が病気になってよかったと思ったのは、これで対等な気持ちではげませると思ったの。お互いに今は大変だけど『こんなときもあったね』と言いあえたらいいなと思ったのよ」
帰りの車中でしゃくりあげながら語った。
大阪の家に帰宅した翌日、道の駅で買った里芋で愛媛の秋の名物「いも炊き」をつくることにした。
仁王立ちの妻の視線を背後にピリピリ感じながら里芋を切っていると、
「あまった里芋は切って冷凍すればみそ汁にも使えるぞ」
圧力鍋にかけてから味をみるとちょっと薄い。
「しょうゆとみりんを大さじ1ずつ加えたらええ」
ほぼいい感じなんだけど、何かちょっと足りないなあ......と言うと、
「だったら、塩ひとつまみか、イシルをちょっと加えてみ」
イワシやイカを発酵させた能登の魚醤イシルを加えると、驚くほどうまみが増した。
ホクホクした里芋といりこだしの甘みがまさに愛媛の味だった。
(つづく)
イラスト/藤井玲子
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6章に渡って綴られる「家族の愛の実話」。巻末には著者に妻が教えてくれた「23のレシピ集」も収録