他者の期待に反する勇気を持てますか?「自分の人生を生きる」ということ/岸見一郎「生活の哲学」

定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「自分の人生を生きる」です。

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属性付与は命令

人生を生きる時に何が問題になるかというと、自分が一人この世界で生きているわけではないので、自分の思い通りに生きようと思っても、必ず他者が自分の前に立ちはだかるということである。

それは、例えば若い人であれば、行きたい学校があるのに親が反対するとか、結婚に反対するというようなことだけではない。

他者が直接的に自分の行動をコントロールしようとしていることが明らかな時は、むしろそれに対処することはたやすい。

常は父親の説教を黙って聞いていた高校生が、ある日、親に言い放った。

「私の人生だから私に決めさせてほしい」

いつも親の言いなりになっていた子どもからまさかこんな言葉を聞くとは思ってもいなかった親は動転し、二の句が継げなかった。

親は何をいわれても自分からは積極的に考えをいわない子どもを「おとなしい」とか「従順である」と思う。

この「おとなしい」や「従順である」を「属性」(attribute)という。

属性とは「事物や人の有する特徴・性質」という意味である。

「あの花は美しい」という時の「美しい」が属性(花に属している性質)である。

人についていえば、性格や、容姿、また学歴などが属性である。

精神科医であるR・D・レインは「属性化」あるいは「属性付与」(attribution)という言葉を使っている(R.D.Laing, Self and Others)。

今の親子の例に即して説明すると、親は子どもに「おとなしい」「従順である」という属性を付与していた。

子どもも親の自分についての属性化を受け入れていた。

問題は、多くの場合、子どもは親やまわりの大人がする属性付与を否定することはできず、それが事実上、命令に等しいのに、そのことに気づかずに、コントロールされていることである。

私の祖父は、私が子どもの頃、「お前は頭がいい子どもだ」と口癖のようにいっていた。

何をもって祖父がそういっていたかは今となってはわからないが、祖父はただ私について「頭がいい」という属性付与をしたのではなかった。

「お前は頭のいい子であるように努力しろ」という命令をしていたのである。

実際、祖父はこの言葉に続けて「大きくなったら京大へ行けよ」といっていた。

そこで、私はその期待を満たすべく一生懸命勉強しなければならなかった。

しかし、小学校に入ると、祖父が期待するほど頭がよくないことがわかった。

祖父の私についての属性付与と私が自分にする属性付与が一致しなくなったのである。

コントロールからの脱却

レインは次のような例をあげて属性付与について説明している。

男の子が放課後、学校から駆け出している。

校門のところで母親が待っていることに気づく。

この時、母親に駆け寄って抱きついてきた子どもに母親が「お前はお母さんが好き?」とたずね、子どもがそれに対して「好き」と答えたら親は満足するだろうが、いつまでも子どもがこんなふうではないだろう。

近寄ろうとしない子どもに親が「お前はお母さんが好きではないの?」と問い、「嫌い」と答えたらどうなるだろう。

親は怒り心頭に発し、「生意気いうんじゃないよ」と平手打ちをするかもしれない。

そのような親がいれば、何とひどい親だと思うかもしれないが、この親は子どもを自分とは分離した存在として扱っており、子どもの方も自分が母親に影響を及ぼしうることを知っているのである。

レインがあげている別の親は少し離れて近寄ろうとせず、親が好きではないという子どもに次のようにいう。

「だけど、お母さんはお前がお母さんを好きなんだってことわかっているわ」

この親は、自分を好きではないという子どもの言葉を無視し、子どもが自分から離れようとしている事実を無効にしようとしているのである。

「あなたが私を好きなことは知っている」という母親による属性付与は、事実上、「私を好きになりなさい」という命令に等しい。

子どもが自分とは分離した存在であり、自分を子どもが好きではないという現実を直視できない母親は、このような属性付与をしなければ耐えられない。

それは自分の誇りを傷つけることであり、自分の優越感を揺るがすからである。

親からこのような属性付与がされた子どもは反発していいはずだが、自分は親のことが好きなのかもしれないと思い直すかもしれない。

属性付与は評価であり、できるものならよい評価をされたい人は、他者からの命令に従ってしまう。

期待に反する勇気

最初に見た高校生は親からの属性付与を拒否したのである。

そうすることには勇気がいっただろう。

三木清(※)が「我々の生活は期待の上になり立っている」といった後に「時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ」(『人生論ノート』)といっていることは前(第6回)に見た。

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属性化は命令であり、期待でもある。

命令に背いても、人が期待するような自分にならなくていいのである。

「世間が期待する通りになろうとする人は遂に自分を発見しないでしまうことが多い」(前掲書)とも三木はいう。

人からの属性付与によって自分を知ろうとする人は、人からの評価に振り回される。

他者の自分についての属性付与と、自分の自分についての属性付与が一致しなければ、他者からの属性付与が正しいと思ってしまうので、自分を知ることができないのである。

高校生は、動転する父親に畳み掛けるように次のようにいった。

この日親は進路について、どの大学に行くべきか話していたのである。

「もしも私がお父さんの助言に従ってお父さんがいいという大学に行って四年後にこの大学に入らなければよかったと思ったら、その時お父さんは私に一生恨まれることになりますが、それでもいいですか」

誰も他者の人生に責任を取れないのである。

自分の人生を生きよう。

※哲学者(1897~1945 年)。『人生論ノート』は発表から80 年を超えて読み継がれている。

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岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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『老後に備えない生き方』

(岸見一郎/KADOKAWA

2018年から今年3月号までの連載が一冊になりました。読者の皆さんから寄せられた質問を手掛かりに、ギリシア哲学の専門家である岸見先生がアドラー心理学も駆使しながら、より良く生きるための考え方を考察します。

この記事は『毎日が発見』2020年12月号に掲載の情報です。

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