「若い頃は良かった...」という人へ。人生を選択するということ/岸見一郎「生活の哲学」

定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「人生を選択するということ」。新型コロナウイルスの影響を受け、私たちは自分の「生活」を、「生命」を、そして「人生」を、どのように考えるとよいのでしょう――。

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高校時代のこと。

ある日、友人が大学には進学しないと言い出した。

大学で学ぶべきものは何もないというのだ。

私が通っていた学校は進学校だったので、大学に進まないという選択肢があるとは思っていなかった私は驚いた。

これからどんな人生でも選べるのに、早々に大学に行かないと決めてしまうことは、人生の可能性を狭めることになるのではないかと私は思ったのである。

私がそう思ったのは、哲学者の森有正(哲学者:1911~1976年)が、ノートルダム寺院でミサを聴いていた時、献金を集めにきた若い僧を見て、「若いのに可哀想だね」といった時の思いに近かったかもしれない。

「あの時僕には、若くして、僧籍に身を捧げることは、人生の様々な楽しみや発展の可能性を犠牲にするように思えたのだ」(『バビロンの流れのほとりにて』)

僧になるためには禁欲的な生活を送ることが必要であることはわかるが、「発展の可能性を犠牲にするように思えた」と森が書いているのは、この若い僧が自分の才能を活かせるよりよい人生があったのに、それを選ばなかったと考えたからだろう。

私の友人が大学に進学しないことも、彼の「発展の可能性」を阻害するように私には思えた。

もちろん、大学に進学しなければ「発展」できないわけではない。

森は今は少し見方が変わってきたと、次のようにいっている。

「それは、一人の人間が、若い時に、人生の様々な経験によって摺りへらされる前に、自分が熱情を感じたものに、全人生を捧げることは、決して間違っていないのではないか、と思うようになってきたからだ」

若い時には、どんな人生でも選べる気がする。

しかし、どんな人生でも選べる可能性があるということと、実際にどんな人生を選ぶかは別問題である。

熱情を感じたものに人生を捧げようとする人もいるだろうが、偶然、今の人生を生き始めたという人もいるだろう。

私の友人は就職活動をしている時、日にいくつもの会社を訪問していた。

ある日、突然、雨が降り出したので、たまたま、ある会社のビルに雨宿りをした。

彼はその会社の試験を受け、その会社に就職が決まった。

彼は後にその時のことを振り返って思ったことだろう。

もしもあの時雨が降り出さなかったら、私はきっと別の人生を送ったのではないか、と。

そうかもしれない。

その時、雨宿りをしなかったら今の会社には就職せず、別の会社に入り、今とは違う人生を生きることになったであろう。

しかし、今の人生を生きることになったのは偶然のきっかけによるものであっても、選べたかもしれないが実際には選ばなかった人生ではなく、その人生を選ぶという決心をしたからである。

僧籍に入ることも何らかの偶然が関係しなかったわけではないだろう。

仏教の僧侶であれば、生まれたのが寺で、寺を継がなければならなかったのかもしれないし、出家しようと思うほど苦悩する経験があったからかもしれないが、だからといって必ず寺を継ぐとは限らない。

寺を継ぐことに反発して家を飛び出したかもしれないし、救いを宗教以外のことに求めるということもありうるだろう。

森は、なぜ若い時に熱情を感じたものに全人生を捧げることは決して間違っていないと考えたのか。

「人生の終わりになって、人がかえりみて思うことは、人生のよい時は若い時であり、それ以後は、それに並ぶ時はもうなかった、ということではないだろうか」

人生のもっともよい時である若い時に感じた熱情に全人生を捧げれば、全人生を若い時の熱情の水準にまで高めることができると森は考えるのだが、私は、森が「人生のよい時は若い時だ」といい、若い時を人生の他の時期と比べて特別視するのは間違いだと思う。

はたして誰もが、人生の終わりになって、「人生のよい時は若い時だ」と思うだろうか。

たしかに、若い時は「よい時」だが、よい時は若い時だけではないだろう。

それでは、なぜ人生のよい時は若い時だと思うのか。

森は、仕事について、次のようにいっている。

「あわててはいけない。リールケ(オーストリアの詩人作家:1875~1926年)の言ったように先に無限の時間があると考えて、落ち着いていなければならない。それだけがよい質の仕事を生み出すからである」(『日記』)

若い時であれば先に無限の時間があると思え、熱情を感じたものに人生を捧げようと思えるかもしれないが、歳を重ね、これから先の人生には限りがあると思うと時間をかけて仕事をしようと思うのは難しい。

仕事に限らず、何か新しいことに着手しようとは考えにくい。

また、新型コロナウイルスが流行したために、これまでとは違う生き方をすることを余儀なくされたようなことが起こると、変化に適応することは難しいと思ってしまう。

そのように思うのは、一つには、過去の経験が役立たないからであるが、先が見えないからでもある。

しかし、先が見えないのは若くても歳を取っていても同じである。

変化を恐れる保守的な人はいるが、これからの人生が長いと思っているので、困難にも立ち向かえると思う人も多い。

そのように思えるためには、時間についての見方を変えなければならない。

バスケットボールの世界では、残り一分を「永遠」という、と伊坂幸太郎の小説の登場人物は語っている(伊坂幸太郎『逆ソクラテス』)。

もう後一分しかないと思ってしまうと、果敢なプレーはできない。

永遠というのは、時間の無限の延長ではない。

フロムは次のようにいっている。

「愛、喜び、真理を把握することの経験は時間の中ではなく、今、ここに起こる。『今』と『ここ』は永遠である。即ち、無時間性(Zeitlosigkeit)だ」

(Fromm, Haben oderSeinーー邦訳は『生きるということ』(エーリヒ・フロム、紀伊國屋書店)

この意味での永遠の中に生きていると思えれば、若い時のみならず、歳を重ねてからも、何にでも着手でき、変化を恐れることもなくなるだろう。

人生において必要なのは熱情ではなく、「今、ここ」という永遠の中で生きる決心である。

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岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』

(岸見 一郎、古賀 史健/ダイヤモンド社)

フロイト、ユングと並ぶ心理学三大巨匠の一人、アドラー。日本では無名に近い存在ですが、欧米での人気は抜群で、多くの自己啓発書の源流ともなっています。

アドラー心理学の第一人者である岸見一郎氏がライターの古賀史健氏とタッグを組み、哲学者と青年の対話篇形式で彼の思想を解き明かしていく、ベストセラー。

この記事は『毎日が発見』2020年7月号に掲載の情報です。

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