歳を重ねた私たちも...「自分のやりたいこと」を、見つけなければならないのか?/岸見一郎「生活の哲学」

定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「力を抜こう」です。

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看護学校や看護大学で長く教鞭を執っていた。

その内の一つの学校は五年制で、中学校を卒業して入学した生徒はすぐに看護の勉強を始めた。

中学校を卒業した時点で、将来どんな仕事に就くか具体的に考えている人は少ないので、早くから看護師になると決めて勉強する生徒がいることに私は驚くのだが、三年も経てば、自分は看護師に向いているのだろうかと悩み退学を考える生徒が出てくる。

親も教師もここでやめてしまったらもったいないというようなことをいって翻意を促すが、退学する生徒は多かった。

学校をやめれば国家試験を受けられなくなるだけで、学校で学んだことがすべて無駄になるわけではない。

国家試験に合格するためだけに勉強をしていたはずはない。

看護師になって病気で苦しむ人を助けたいという生徒はたしかにいたが、自分で看護師になると決めたというよりは、親やまわりの大人から資格を取っておくと後々有利であるといわれて看護師になることを決めた生徒も多かった。

きっかけはともかく、勉強をしてみたらおもしろく、看護師になろうと思うようになったのであれば、自分で決めたということである。

その時にはもはや看護師の資格を取ることだけが重要ではなくなっているだろう。

反対に、看護師としてではなく、別の人生を歩もうとする決心をすることがある。

途中で気を変えることをよく思わない人は多いが、看護師として生きることが唯一の人生ではないのだから、看護師として生きないという決心をしただけのことである。

若い人だけではなく、大人も人生の進路を変えたいと思うことがある。

今のこの生活を自分が本当に望んでいるかといえばそうとはいえない。

しかし、今さらこれまでとは違う人生を始めるわけにはいかないと思って諦めてしまう人がいる。

諦めてしまう理由はいくつかある。

まず、冒険をすることが怖いのである。

これまでとは違う人生を生きて失敗したらどうしようかと思う。

失敗しても引き返すことはできるし、他のことに挑戦することもできるはずだが、失敗を恐れる人は、現状に不満があっても何もしない。

そこで、これまでの人生のために費やしてきた時間やエネルギーや身につけた知識が無駄になるということを新しい人生に踏み出さない理由にする。

しかし、それらがまったく無駄になるわけではない。

看護師にはならない決心をした生徒は学校でただ看護の知識だけを学んだわけではない。

親からいわれてではなく、自分の考えでこれからの人生をどう生きるかを考えられる知恵を学んだといえる。

違う道に進んだ時に必要な知識があれば、新しく学ぶことができる。

エネルギーについていえば、本来自分が生きる人生ではないと思いながら生きることに費やされるエネルギーは、新しい人生を歩む時に必要なエネルギーよりもはるかに大きいだろう。

次に、人からよく思われたいということである。

三木清が「我々の生活は期待の上になり立っている」といった後に「時には人々の期待に全く反して行動する勇気をもたねばならぬ」といっている(『人生論ノート』)。

他者の期待に応えなければならないと思うと、したいことができなくなる。

「世間が期待する通りになろうとする人は遂に自分を発見しないでしまうことが多い」とも三木はいう。

世間が自分に期待している人生を生きれば、大きな破綻をすることはないかもしれないが、自分の人生を生きることができなくなるのである。

先に「冒険」という言葉を使ったが、人生において何かを成し遂げなければならないわけではない。

多和田葉子の『地球にちりばめられて』という作品の中で、登場人物の一人が次のように語る。

「やりたいことっていう言い方、なつかしくないですか?」

「なつかしい」かどうかはともかく、親から「やりたいことはないのか」とたずねられた人は多いかもしれない。

「自分は何者なのか、という問いに答えるのは難しいけれど、自分のやりたいことが見つかれば、人生の答えが出たみたいな気になる。やりたいことが分からない人間は、とんでもない道に迷い込んでしまうんじゃないかって周りも心配したりして。親とか友達とかに若い頃、おまえのやりたいことは何なんだ、とか訊かれたこと、あるんじゃないですか?」(前掲書)

中学を卒業してすぐに、将来看護師になりたいと子どもがいった時、親は安心しただろう。

親が子どもに看護師になることを勧めるのは、看護師の資格を取れば安定した人生を送れるだろうと考えてのことだけではない。

自分の進む道をいつまでも決めないのを見るのが嫌なので、子どもが早々に「やりたい」ことを見つけたことを喜んだのである。

将来どんな仕事に就くかを、中学を卒業した時どころか、大学生になっても具体的に考えている人は少ないけれども、これからの人生で何をやりたいのかを一度も考えない人はいないだろう。

問題はその問いに答えるのは容易ではないことである。

だからこそ、この問いを考えることから逃避し、決定を先延ばしにするのだ。

しかし、「お前のやりたいことは何なんだ」という問いに対して必ず答えられなければならないのだろうか。

「自分のやりたいことが見つかれば、人生の答えが出たみたいな気になる」というのは本当なのだろうか。

なぜ私がこの問いにこだわるかといえば、歳を重ねるとこの問いはあまり意味を持たないからである。

歳を重ねるとやりたいことがあっても、できないかもしれない。

そのような現実を前にしてやりたいことはないと答える人は、「とんでもない道」に迷い込むことになるのか。

そんなことはないだろう。

老いも若きも力を抜こう。

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岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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『老後に備えない生き方』

(岸見一郎/KADOKAWA

2018年から今年3月号までの連載が一冊になりました。読者の皆さんから寄せられた質問を手掛かりに、ギリシア哲学の専門家である岸見先生がアドラー心理学も駆使しながら、より良く生きるための考え方を考察します。

この記事は『毎日が発見』2020年9月号に掲載の情報です。

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