「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました!末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」、ぜひお楽しみください。
会社を辞めることを伝える
1月15日、東大病院へCT撮影に行く前に会社に立ち寄った。
僕は、自分の決断を社長に伝えようと思っていた。
なによりも、仕事についての不安定な気持ちに、僕自身がもう耐えられなかった。
今の宙ぶらりんな状況に決着をつけたかった。
このままこの中途半端な状況で2月を迎えるなんてこと、僕には出来なかった。
早く気持ちを定めて置きたかった。
これは仕事のことでもあるけれど、なによりもストレスが酷くて、体調にもろに影響が出ていたから。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
軽い雑談の後、僕は切り出した。
「いろいろ考えたんですが、やっぱり会社を辞めることにしました」
「えっ?」
社長は驚いて僕を見た。
「社長が提案してくれた、3番目の完全フリーという形で行こうと決めました」
「...ずいぶん急ね」
「ええ。年末年始に僕なりに考えた結果です」
「急に言われて、私もびっくりしちゃったわ。今日そんな話になると思ってなかったから」
「急ですみません」
「それを決めるのに色々とあったでしょう。そのあたりの話を、じっくり聞いてあげられなくてごめんなさい」
社長は申し訳なさそうに言った。
「いえ、大丈夫です」
「朗報もあるわよ。色々調べたら失業保険を受けられそう」
実は社労士の中江さんからも、保険がおりそうだという連絡をもらっていた。
「そうなんですね、助かります。退職理由は会社都合にしていただくと助かります。ま、会社都合なんですけど」
「はい、分かりました」
晴れた空の下、僕は会社を後にした。
気分はすっきりと晴れ渡っていた。
目の前で閉まっていた扉が開き、そこから気持ちのよい風が僕に吹いているように感じた。
さあ、これで一歩前進だ。
まだ先は全然見えないけれど。
とりあえず、失業保険も出るみたいだし。
そう、今、本も書いているし。
自分で自分の人生の方向を決めるって、何て気持ちがいいんだろう。
翌日、置いてあった書籍や資料などを整理するために、僕は会社に行った。
同僚は僕にどう言葉を掛けてよいのか分からないのか、言葉は少なくて、事務的なこと以外ほとんど話しかけてこなかった。
僕はひとり黙々と、私物をカバンとダンボールに黙々と詰め始めた。
誰に何も言われていないにもかかわらず、なんだか僕は自分のことを敗残者のように感じていた。
惨めだ...。
なんで、こんなことになってしまったんだろう。
これがいわゆるがん離職ってやつなのか。
同僚が事務的に話しかけてきた。
「刀根さんが会社で作った資料は会社のものですので、全て持ち出し禁止です」
そうか、僕が作った心理テストや資料も全部置いてくのか。
「刀根さんが会社で交換した名刺も、全部置いていってください。会社の財産です」
そうか、名刺一枚持ち出せないのか。
「それから、会社の客先に、今後一切営業をかけるのは止めてください」
僕の個人的つながりで持ってきた仕事も、今では会社の客先か。
じゃあ、4月から自分の仕事を立ち上げようと思ったら、ほんとに全くのゼロ、白紙から始めなきゃだな。
12年間の仕事で作った人脈も、全く使用禁止ってことなのか。
今まで作ったものや人脈も、全て会社に押さえられてんのか...。
いや、参ったな、どうしようか?
目前にまた、大きな壁がずどんと立ちはだかった気がした。
僕は、まるで自分の手足がもがれたように、どんどん力が抜けていった。
果たして僕は、4月から生活していけるのだろうか?
実際、4月になって何もなかったらどうしよう?
職安に行って仕事を探しても、希望するものがあるとは思えない。
体力を使う身体系の仕事は、まず無理だ。
今までの僕の人脈は、全て会社に押さえられてしまっている。
こういうのを、八方塞がりっていうんだろうな。
本を書いているって言っても、それが出版できるかはまだ分からない。
先は不透明だ。
原稿料だってもらってるわけじゃない。
2日後の1月18日、CTと血液検査の結果を聞くために東大病院に行った。
実は、かなり心配だった。
戦力外通告の日から3か月近く不調が続いていて、ひどい頭痛も2、3日前まで続いていた。
正直に言うと、脳腫瘍の再発を覚悟していた。
「残念ですが...再発しました」
井上先生がCTを見ながら深刻な顔で言う。
あ~、やっぱり...。
僕はショックを受け止めるリハーサルまで、シュミレーションしていた。
診察を待つ間、ドキドキと心臓の鼓動が高鳴った。
あ~やっぱり...。
いやいや、大丈夫だよ、きっと再発していない、大丈夫だって!
僕の心は揺れ動いていた。
手元の呼び出し受信機が鳴る。
「刀根健さん、診察室にお入りください」
いよいよ診察の順番が来た。
僕はドキドキしながら、診察室に入った。
CT画像を見ていた井上先生はいつもと同じ感じで言った。
「体調はどうですか?」
「はい、実はあまり良くありません。CTはどうでしたか?」
「ええ、問題ないですね。ほら、きれいなもんです」
パソコン画面には、前回よりもさらにきれいになった僕の肺が写し出されていた。
脳も全く問題はなかった。
おお!やった!
安堵感が押し寄せ、身体が一気にゆるんだ。
「CTに写ったがんはもう霞みたいになってますね。きっとこれはかさぶたみたいなものでしょう。活動しているとは思えません」
井上先生の言葉を受けて、僕は、やっと確信することが出来た。
そう、それはステロイドをやめてから初めての感覚だった。
このダルさは、がんとは関係ない。
僕の心配をよそに、身体はどんどん回復してきている。
そう、僕はきっと、完治する。
【次のエピソード】「嫁が息を引き取りました」思わず言葉を失った...ある友人からの報告。/続・僕は、死なない。(17)
【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)
50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。