認知症になったのは、臆病な母への神様からのプレゼント?/うちの親にかぎって!

こんにちは、松風きのこです。認知症の症状がありながら病院に行きたがらなかった母を福岡から東京に呼び寄せ、あの手この手で作戦を練ってようやく認知症外来のあるクリニックで受診。検査の結果、レビー小体型認知症だったことが判明しました。

pixta_46336371_S.jpg前の記事「認知症テストも憮然とした態度。そしてほぼ正解。母、やればできるの?普段はわざとやらないの?/うちの親にかぎって!」はこちら。

 

東京で仕事をしながら親の介護をしている友人と、

介護の極意や悲喜こもごもを語り合う。

診断を受けたその夜、クリニックを紹介してくれたKちゃんに「やっぱり認知症だったよ」と報告しました。

Kちゃんは認知症のお母さんを1人で介護しながら働くバリバリのキャリアウーマン。残業なども多いのに、行きつけのバーやパーティでもちょいちょい会うなど仕事も遊び全力投球!というアクティブな人で、以前から尊敬していたのです。でも私も似た状況になり、まさか東京で母の世話をする日が来るとは思っていませんでした。

さらにKちゃんは、お母さんを連れて海外旅行までしているのです。
K「でも空港に着いたとたん、今までパリにいたことも忘れていたから(笑)、私の自己満足で行っているだけなのよ」
私「うちの母も沖縄から帰ってきた直後に、"一度で良いから沖縄に行ってみたい"とかいって、写真見せるまで行ったことないって言い張ってた!」
K「だけどレストランで"去年の方が美味しかったなんて、突然思い出したりして、お店の人にはヒヤヒヤなんだけど(笑)。一瞬でも戻ってくれる瞬間があるとうれしくて」
私「うんうん、その思い出だけで3杯は白飯おかわりできるよね!」と、介護の悲喜こもごもを語り合いました。

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会社勤めのKちゃんがデイサービスなどを利用しながらできているのだから、フリーで自宅仕事の私にできないはずはない。
持つべきものは介護ともだち。
今後もますます介護の先輩としても頼りにしてしまいそう。

 

生にも死にも鈍感になる、つまり死も怖くない...

それって、もしかして幸せなことなのかもしれない。

さらにKちゃんから思いもよらぬ言葉、そしてこの先ずっと、介護をしていく上で心に留めておきたい言葉を聞いたのです。

K「うちの母は認知症になってよかったと思っているの」と。
K「私の父はまだ若いうちに癌で亡くなったのだけど、それまで毅然として強く立派だった父が、死に怯えて泣いたりする姿は見ていられず、とてもかわいそうだった。
母は気が小さい人間だから、もっと怖いと思う。でも認知症になった今は、死ぬも生きるも分からない。認知症は、お迎えが来るまで子どもになって遊んでいなさいって、神様がプレゼントしてくれた病だと思うの」

それを聞いて私は涙がにじむと当時に、少し気が楽になりました。
そうだ、うちの母も臆病で神経質で、自分が死ぬなんて気が狂うほど怖いと思う。でもいつかお迎えが来たときに、死の恐怖に鈍感になっていたら、そのほうが幸せかもしれないと。

K「それにね、うちの母は若い頃はとても厳しくて怖い人だったの。でも今はすっかりトゲがなくなって、穏やかで素直なの。逆に私の娘みたいで、かわいいとさえ思えるのよ」

うーん。うちの母は逆に、今までよりワガママでイヤな人になっているけど、私にもそんな境地に達する日がくるんだろうか?

とりあえず、悲観的になるよりはポジティブに考えた方がお互いに気楽だし、そのことこそが認知症の進行を遅らせるコツだと肝に銘じたのでした。

 

「うちの親にかぎって!」他の記事はこちら。

イラスト/にのみやなつこ

 

 

松風きのこ(まつかぜ・きのこ)さん

大学進学で上京し、広告制作会社でコピーライターを経験したのち、広告、雑誌を中心としたフリーライターに。父(82歳)母(81歳)は福岡在住。5年前、父が頸椎の手術をしたのを機に、それまで年に1週間程度だった帰省を3~4ヵ月間に増やし、さらに母が認知症と分かったため、東京と福岡を往復しながら遠隔介護中。母が認知症だとは気づかずに過ごした数年の間に、周囲がみんな逆効果の対応ばかりしていたことに思い当たり、この体験記を書くことに。

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