大人世代で心配になってくるのが老後。生活費などの資金や健康に対して不安はつきものです。そんな不安に立ち向かえるヒントを与えてくれるのが、森永卓郎さんの考え方です。今回は、「私の幸福論」がテーマです。
この記事は月刊誌『毎日が発見』2024年4月号に掲載の情報です。
必要な分のお金を面白い仕事で稼ぐ
今年から始まった新NISAと「貯蓄から投資へ」という政府の掛け声に呼応する形で、いま空前の投資ブームが起きています。
なかでも、アメリカや全世界の株式に分散投資する投資信託が人気で、いまや毎月、数千億円の資金が海外に流出するようになっています。
今後、公的年金の給付が減っていくことや、増税や社会保険料の負担増が見込まれるなかで、少しでも老後資金を増やしておきたいというニーズが投資ブームの背景にあるのでしょう。
ただ、私は猛烈な違和感を覚えています。
株式投資には元本保証がありません。
いくら分散投資をしても、バブルが崩壊したときには、巻き込まれます。
現に、いまから95年前のアメリカで、平均株価は、90%も値下がりしました。
株式投資は、老後資金を溶かしてしまうリスクを抱えているのです。
もう一つの違和感は、老後資金を増やそうという思いの裏には、「コストの高いいまの暮らしを続けたい」という前提があるように思えてならないのです。
本当に幸福な老後、あるいは人生とは一体何でしょうか。
今年の元日に亡くなった山崎元(はじめ)氏が、最近『経済評論家の父から息子への手紙』という書籍を出版しました。
山崎氏は私と大学の同窓で、三和総研や獨協大学では同僚だったので、よく話をしました。
ただ、私は彼が「合理的経済人」だと思っていました。
一流企業ばかり12回も転職を繰り返していたからです。
ところが、書籍のなかで彼は息子に、「金持ちを目指すのではなく、面白いと思える仕事を通じて、必要な程度のお金を稼ぐことができればそれでいい」と言っています。
お金がたくさんあっても、幸せにはなれません。
それよりずっと大切なことは、自分が面白いと思える仕事を続けることなのです。
私は、18年前まで、24時間操業のモーレツ社員を続けていました。
転職は2回だけでしたが、出向や異動で、職場は10カ所ほど経験しました。
どの職場にもおバカな上司がいて、理不尽な業務命令を下してきます。
顧客にも振り回されました。
「3時から打ち合わせに来い」と言われたので、「もう4時を過ぎてますよ」と言ったら、「馬鹿野郎。午前3時から打ち合わせするんだよ」と言われたこともありました。
私は、どれほど煮え湯を飲まされても、歯を食いしばって我慢しました。
子育てにお金が必要だったからです。
ただ、18年前、子どもが成人になったのを機に、私は会社を辞め、同時に、嫌な仕事、金を稼ぐためだけの仕事をすべて排除しました。
私は、50歳にして、「悠々自適」の生活に入ったことになります。
実際、この18年間、私が抱えるストレスは、桁違いに減りました。
もちろんそうした暮らしを実現するためには、重要な条件があります。
それは、生活コストを下げることです。
幸か不幸か、私は都心を離れたトカイナカに家を建てました。
物価は安いですし、大都市のようなエンターテインメントもないので、生活コストは半分くらいになります。
それだけで、無理をしてお金を稼ぐ必要がなくなるのです。
一方、大都市の高コストな暮らしを続けようと思うと、どうしても、定年後も働き続けることが必要になります。
しかも、楽しい仕事ほどお金にならないというのが世の中の大原則ですから、お金を稼ぐためには、ストレスの多い、嫌いな仕事を選ばざるを得なくなるのです。
それを避けたいから、今度は、お金を増やそうと危険な「投資」という名のギャンブルに手を出してしまうのです。
自由に生きることこそが幸せの源
富山県に舟橋(ふなはし)村という日本一面積の小さな村があります。
移住者の増加によって、この30年間で人口が倍増しています。
移住者に人気なのが、村が斡旋してくれるプロのサポートがついた小さな農地の貸し出しと、分不相応なほどの巨大な図書館です。
晴れた日には、畑に出かけて、汗を流す。
雨の日には、図書館で本を読みふける。
まさに晴耕雨読の暮らしです。
誰も理不尽な命令をしてきませんし、どんな作物をどのようなやり方で育てるのかは、すべて自由です。
もちろん、どんな本を読むのかも自分で選べます。
それ以上に必要なものが、人生にあるのでしょうか。
山崎元氏の12回の転職も、いまから考えると、その終盤では、彼の自由な活動を認めてくれる会社に転職先が変化しています。
つまり、山崎氏は、高報酬を求めて転職をしたのではなく、自由を求めて転職をしたのです。
いま私は、とても幸福です。
お金を稼ぐことに気をとられずに、自由な論説を展開しているからです。
昨年出版した『ザイム真理教』は大手メディアから無視されるどころか、私は大手テレビ局の報道・情報番組のレギュラーをすべて失いました。
3月に出版予定の『書いてはいけない』は、もっと厳しい処分を招くと思われます。
それでも、私は幸せです。
お金を稼ぐことや、テレビに出続けることよりも、本当のことを自由に言い続けることのほうが、ずっと面白くて、ずっと大切だと考えているからです。
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