「属性を帽子のように脱ぎ、まず人間であること」【哲学者・岸見一郎さんが語る】

「誰かわかる?」

私はこのドラマを観ていて、作家の龍應台(※2)の母親のことを思い出した。龍は母親に会いに行く時には、着く前に必ず電話を入れていた。

「『もしもし。私が誰かわかる?』母が朗らかな声で答える。『誰かは知らないよ。でも、あんたのこと好きだよ』」(龍應台『父を見送る』)

人を好きになるためには、誰であるかがわからなくてもいいのである。人が誰であるかも属性であって、「私」ではない。

このくだりを読んだ人が、この母親は認知症なのかとたずねた。認知症なのかどうかがわからないと、母親が本心でこんなことをいったのか、ユーモアなのかわからないというのである。もちろん、この母親は本心でいっている。龍も母親が認知症であるとはどこにも書いていない。龍にとって母親はただ母親で、「認知症の」母親ではない。

私の父も晩年認知症を患い家族のこともわからなくなることがあったが、父は父であって、「認知症の」父ではなかった。認知症かどうかを問うような人は、属性によってしか人を理解できないと思っている。だから、自分のことも仕事や肩書きのような属性を明らかにすれば他の人に理解してもらえると思っている。

心筋梗塞で入院していた時に親しくなった人がいたが、その人たちがどんな仕事をしているかをたずねたことはなかった。そんなことをたずねる必要がなかったのである。

私は当時いくつかの学校で教えていた。ある日、学生が見舞いにやってきたことがあった。その学生が私を先生と呼ぶのを聞いて看護師が驚いた。私は属性から自由でいられることを心地よく思ったが、皆がそうであるわけではないだろう。肩書きを失って定年後の日々を失意のうちに過ごすのと同じようなことが起きることもある。

人間になる

『今日もあなたに太陽を〜精神科ナースのダイアリー〜(※1)』というドラマには、うつ病で入院する看護師が登場する。

この看護師は入院していても看護師という属性から自由になれなかった。看護師である自分がうつ病で入院することを許せなかったのである。退院後、職場に戻った時、入院していたことを同僚に隠したこの看護師はうつ病になったことをそもそも受け入れることができなかった。回復するためには、看護師であることと病気であることの二つの属性から自由になる必要があった。

ある小学校教師はうつ病になった時に、仕事のことを忘れて治療に専念することができなかった。気晴らしに散歩をしたらと勧めても、職場から電話があった時に自宅の固定電話で受けないと遊んでいると思われるからと家から出ようとしなかった。

幸い説得の甲斐があって、携帯電話を持って遠出できるようになった。それに伴って、うつ病の症状は改善していったが、症状が改善したのは、教師という属性から自由になり、さらにうつ病者という属性からも自由になり「人間」になったからである。

※1 動画配信サービスのNetflix(ネットフリックス)で配信中のドラマ。

※2 1952年〜。台湾の作家、評論家。著書に『台湾海峡一九四九』『父を見送る』などがある。

※記事に使用している画像はイメージです。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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