「属性を帽子のように脱ぎ、まず人間であること」【哲学者・岸見一郎さんが語る】

月刊誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「まず人間であること」です。

この記事は月刊誌『毎日が発見』2024年2月号に掲載の情報です。

「属性を帽子のように脱ぎ、まず人間であること」【哲学者・岸見一郎さんが語る】 pixta_93235239_M.jpg

属性を帽子のように脱ぐ

生きることは苦しい。苦しみも悲しみもいつまでも消えない。しかし、人は苦しみや悲しみに押しつぶされることはない。苦しみや悲しみは自分自身ではなく、「属性」(人に属している性質)でしかないからである。「今、私は苦しい、悲しい」という人は、苦しみや悲しみという属性を重い荷物のように担っているが、苦しみや悲しみは帽子のようなものなので、いつかそれを脱ぐことはできる。

帽子を脱いだからといって、私が私でなくなるわけではない。しかし、いつでも脱げるはずなのに、苦しんでいない、悲しんでいない自分を考えられなくなり、属性である苦しみや悲しみを手放すのは難しいと思うようになる。

仕事や肩書きもまた帽子のようなものである。それらは人の属性でしかなく、その人自身ではない。それなのに脱げない人は多い。

私は私

『サムダルリへようこそ(※1)』というドラマは、パワハラの嫌疑をかけられ写真家としての名声を失った写真家のチョ・サムダルが故郷の済州島に戻るところから話が始まる。彼女は幼なじみのチョ・ヨンピルと再会する。彼は失意の彼女にこう語りかける。

「チョ・サムダルはどんなに変わってもチョ・サムダルだ。人を傷つけるような人間ではない」

しかし、彼女は「成功した写真家でなければ世間は私を必要としない」という。実際、名声を失うと彼女のもとから多くの人が去って行った。

「二十年間、私はカメラだけを見て生きてきたけれど、それが消えてしまった今、私は私ではない?」

写真家ではなくなった私は私ではなくなったと断定していない。写真家でなくなったら、私は私でなくなるのかとヨンピルに問うているのだ。

「朝起きても何をしたらいいかわからない。人と何を話したらいいかわからない。写真家でなかった私が何をして生きていたか記憶がない」

そう語るサムダルにヨンピルはいう。

「夢が消えても、本当のお前が消えたわけではない。だから、探そう、写真家チョ・サムダルでなく、本当のチョ・サムダルを」

本当の自分を探さなくても、自分が写真家である前にまず人間であることを思い出せばいいのである。写真家という帽子を脱いでも、私が私でなくなるわけではないし、写真家でなくなったからといって、価値がなくなるわけではない。

写真家であったサムダルは、頭にくることがあっても自分を抑えていたが、それは自分ではなかったことに思い至る。属性は人の個性をなくしてしまうのである。写真家として成功しても、自分が自分でなくなれば意味がない。

たとえ、名声を失っても、受け入れてくれる人がいる。そう思える人はどんな苦境の中にあっても、私が私でなくなることはない。

ヨンピルは彼女に「自分を信じろ」という。まわりから何をいわれようと、自分は人を傷つけるような人間ではない。自分は間違ったことはしていない。そう自分で思え、そう思う人がいることを知っている人は、たとえ孤立しても孤独になることはない。

※1 動画配信サービスのNetflix(ネットフリックス)で配信中のドラマ。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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