「苦しんでいる人のために何ができるだろうか」哲学者・岸見一郎さんが語る「苦しみと向き合う」こと

何ができるか

苦しんでいる人のために何ができるだろうか。何か行為によって力になれることはあまりない。自分の決心でいつか苦しみの帽子を脱げる日がやってくると信じ、待つことしかできない。

ジョンウォンの印象に残っている小鹿島のおばあさんはベッドで身体を起こすことができず、目も見えなくなっていた。それなのに、毎日、歌を歌っていた。その元気な歌声は他の病室にいても聞こえてきた。

「おばあさんが元には戻らない目鼻立ちで微笑(ほほえ)んで歌う時、私が彼女の指のない丸い手を撫(な)でながらその歌を聴く時、私たちの間に何かがあった。私はそれを幸福と呼びたかった。幸福とは彼女や私にあるのでなく、彼女と私の間に、重ねた私たちの手の上に、そっと降りてきていた」

小鹿島のおばあさんの人生は今となっては取り返しがつかない。それでも、不幸に押し潰されることなく、微笑みながら歌うおばあさんの姿は苦しみの渦中にある人に生きる勇気を与える。

認知症を患っていた父の介護をしていたことがある。やがて、症状が進み、食事をする以外の時間は眠ってばかりになった。私は毎日父の家に通っていたのだが、父に「そんなに寝てばかりならこなくていいね」といった。父はこう答えた。

「お前がきてくれているから私は安心して寝られるのだ」

私は父と手を重ねたりはしなかったが、父とこんな話をした時、幸福が父と私の間にあることを感じた。

苦しみは、鳥が飛ぶために必要な空気抵抗のようなものである。鳥は真空では飛ぶことができない。空気抵抗としての風の中でこそ、鳥は飛べる。

父はあまりに強い風の抵抗にあって押し戻されているかのようだったが、「忘れてしまったことは仕方ない」と自分の運命を受け入れた。そんな父を見た私は父の力になるどころか、父から生きる勇気を与えられた。

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)先生

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

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