「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】命が尽きるのが先か、貯金がなくなるのが先か。「がんの治療費」に毎月30万円...
分子標的薬と、引き寄せの法則
3月下旬、手当てのヒーラー山中さんとはずいぶん親しくなっていた。
山中さんは最初の気難しい感じはなくなり、彼が経験した様々なことやがんを改善するサプリや食事などを親切に教えてくれた。
「キトサンは身体から化学物質を排出する働きがあるから、摂ったほうがいいよ。安くてシンプルなものでいいから」
「有機ゲルマニウムは細胞を活性化するよ。とても元気になるんだ。他のがん患者さんに教えてもらってね、私も使ってるんだよ」
「クエン酸をミネラルウォーターに入れて飲むといいよ。クエン酸は体内でアルカリに変わるから、がんをアルカリでジャブジャブにしてやるのさ」
「気功はやらないほうがいいね。あれでがんが暴れだした人いっぱいいるから。それからがんを熱で焼き殺すってやつ、ハイパーサーミアっていうのかな、あれもしないほうがいいよ。あれやって急に悪くなった人、何人も知ってるから」
「放射線をやった人に手を当てると、私の手がダメになっちゃうんだ。だから放射線治療をした人はお断りしているんだよ」
あくまで山中さんの経験の範囲だが、僕にとってはとても重要な情報だった。
その中でがん治療最新薬、分子標的薬の話になった。
「僕は分子標的薬使えないって言われたんです」
「そうなんだ。あれは結構効くんだけどね、残念だったね」
「ええ、イレッサは使えないって」
「イレッサ?そう言ったの?」
「ええ、EGFR遺伝子は陰性だからイレッサは使えないって」
「今どきイレッサなんて使わないよ」
「え?」
「今はジオトリフだよ。おかしいね、その病院。イレッサなんて古い薬だよ」
「そうなんですか?」
「それにね、イレッサが使えなくても、ジオトリフが使える場合だってあるんだから」
「本当に?」
「うん、実際にそういう人いたし」
「えー!」
「他のやつは?」
「ALKもダメだと思います。調べてから2カ月半待っても返事なかったし」
「そうだね、ALKは珍しいからね。あれに当たるのはホント、奇跡みたいなもんだよ。でもね、分子標的薬は他にもあるんだよ。ジオトリフのほかにもタルセバとか」
「そんなにあるんですか?」
「そうだよ。そのうちもっとちゃんとしたところで、もう1回調べてもらったほうがいいよ。その病院、信用できないね」
「そうですね」
そうかよし、機会があったら、もう一度調べ直してもらおう。
分子標的薬がそんなにいっぱいあるなんて、知らなかった。
というか、がんになって初めて知る世界なんだから、知らなくてあたり前かもしれない。
でも病院も情報をきちんと伝えてほしい。
どんなものがあって、その中でこの薬を使うんだってね。
情報を与えられない中で、これにします、これしかありませんって言われると、言いなりにならざるを得ない。
そういう意味で、患者として正しく最新の情報を知っていることは、生き残るために必要な能力なのかもしれない。
病院を信用しすぎてはいけない。
病院と対等に話をするために、新しい情報を得ておくことは大切だ。
知らぬ間に治験に回されて実験動物にされてしまうなんて、まっぴらごめんだ。
その頃、左足のひざに力が入らなくなってきた。
おそらく半年以上食事制限をしてきたからグルコサミンとコラーゲンが足りなくなってしまったんだろう。
そう自分に言い聞かす。
股関節の調子も悪くなってきた。
早く歩けない。
痛くて地面に足を強くつけない、踏ん張れない。
漢方クリニックに行くとき、地下の銀座駅から地上へ出るまでの階段がきつくなってきた。
手すりにつかまりながら登る。
途中で休まないと、息が続かない。
喉が詰まるようになってきた。
掛川医師が言った通り、水分を飲むと気道に入ってむせる。
水分を飲むときはゴクゴクと続けて飲めなくなった。
ひと口ずつ、ゴクリ、確認、ゴクリ、確認って感じだ。
何もしていないとき、いきなりヒュッと気道が閉じて、呼吸ができなくなることもしばしばだ。
寝ているときによくそれは起こった。
そういうときは慌てずに身体を起こし、胸に手を当てて心を落ち着かせて気道が開くのを待つ。
落ち着いていれば数秒で気道は開いた。
そしてまた寝る。
喉の奥がぐぐーっとせり上がってくる感じで、空気の通り道が狭くなるときもある。
そういうときは集中して息を通さなきゃならなくなった。
呼吸をするのも一苦労だ。
毎日が谷底にいる気分だった。
でも、谷底じゃないと見えない景色があった。
僕は今まで自分の力で人生を切り開いてきたと思っていたし、自任してきた。
でも、谷底から見ると、それは違った。
僕は一人じゃなかった。
僕には家族がいた。
友だちがいた。
仲間がいた。
気遣ってくれる多くの人たちがいた。
僕は今までそんなこともに気づかずに、自分の力で生きてきたと思い込んでいた。
そういう自分が恥ずかしい。
みんなの気持ちを受け取っていなかった自分は、なんて小さい人間だったんだろう。
僕は自分が強い人間だと思っていたが、真実は違った。
僕は弱かった。
すぐに弱気になる。
すぐにネガティブに巻き込まれる。
すぐに死神が頭の中でしゃべりだす。
弱い、本当に弱い。
自分が強い人間だと思っていたのは、弱い自分を隠すために作り上げた虚像だった。
僕は必死で虚像にエネルギーを投下し、虚像を強化してきた。
講師もそう、心理学もそう、ボクシングもそう。
それを使って弱い自分に直面しないようにしていただけなんだ。
そしていつのまにか、虚像を自分自身だと思い込んでしまったのだ。
虚像は弱い自分を守るための鎧でしかなかったのに。
そして僕は、虚像の自分を生きていた愚か者にすぎなかった。
だからがんになったのかもしれない。
僕は学んでいなかった。
仕事でも講師でもボクシングでも学んでいなかった。
何を学んでいなかったかというと、愛を学んでいなかったということだ。
がんになって思う。
人生はいろいろある。
何をやってもいいし、何でもできる。
何をやるとかその結果とか、そんなことは全く関係なかったんだ。
結局は、つまり、それで自分をどのくらい"愛せるようになったか?"、周りの人をどれだけ"愛せるようになったか?"、それだけ、それだけなんだ。