娘が結婚し、再び酒に溺れるようになった母。見切りをつけた夫は.../かづ

アメブロで「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」を運営しているかづと申します。

結婚35年目。現在は夫婦二人と4ニャンとで暮らしています。

前回に続き、私の父と母についてのお話しです。

前回のエピソード:浮気性の父を引き止められなかった母。次第に酒と子どもに依存するように/かづ

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浮気性の父に頭を悩ませ、酒に溺れていった母。一度は酒から離れていた時期もあったのだが、私が里帰りから自宅に戻ってすぐ、また飲むようになっていた。

その頃は、下弟が学校から帰っても、毎日布団の中で寝てばかりだった。

夕食の時間になるとやっと酒が抜け、夕食は作るものの、下弟が食べている間台所で立って飲む訳だ。

今で言う、キッチンドランカーである。

そして、台所の流しには洗い物をいっぱい溜めたままになり、ろれつの回らない口調で、飲み屋に電話をしていたらしい。

『ウチのKちゃん(夫)、そっちにおんのやろ!?』

とか

『あんたがウチの旦那の女やて、解っとんのや!!』

と、飲み屋に電話をしまくる訳だ。

『Kちゃん来てませんよ。』

と言った所で、母は納得しない。

何度も何度も、何軒も何軒も電話を掛け続ける。

おまけに、それは全て酔っ払った上でだから始末に置けない。

何度も警察のお世話になり、その都度、父や中学生の下弟が警察まで引き取りに行く訳だ。


警察でも顔馴染みになっていたので、中学生の下弟でも引き渡してくれていたが、時折厄介だったのは病院に担ぎ込まれた時だ。


母は、道で酔い潰れて寝ていては救急車を呼ばれたり、飲み屋で暴れて怪我をしては病院に運ばれた。救急隊の都合によって、運ばれる病院は様々だった。

そして母は、

『ウチの娘は看護婦。
 ウチの娘を呼んでーー!!』

と、私の電話番号を口にするのである。


どこをどう入ったのか、高速道路の真ん中をフラフラと歩いていて通報されたり、線路の真ん中を歩いていて転んで動けなくなって通報されたり。

その度に

『ウチの娘は看護婦やから、娘を呼んでーー!!』

と、電話番号を言うのである。

当時は携帯電話など無い時代なので、当然父には連絡は取れず。居所も解らない。

警察や病院から私に電話が来るのは、たいていが夜中の2時3時だった。

一番困ったのが、警察に引き取りに行くと、担当の警察官が昔武道でお世話になった方だったり、病院に引き取りに行くと、当直の看護師が看護学校の同級生だったりした事だ。

 

さて、話を私たち夫婦に戻そう。

夫は私の実家の実情を知り、自分の母親と元の関係に戻る事を決めた様である。

金も援助も貰えず、おまけに面倒だけ持ち込まれる妻の実家より、小遣いを用意して両手広げて待っている自分の実家に戻る方を、選んだ訳である。

夫は、パラダイスになると思っていた結婚生活が、自分の稼ぎだけで大人二人が食べて寝て、子供も生まれるので切り詰めながら貯金もしなくてはならない生活になり、愕然としたのである。

そんなことは結婚すると当たり前の苦労だが、夫は全く考えていなかったのだ。

そして、私が親に援助などをして貰う様な娘ではなく、私の親も援助をしてやるつもりも余裕も無かったので、夫としたら本当に計算違いだったのだ。

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かづ

​ブログ「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」の管理人で、Ameba公式トップブロガー。 ​基本専業主婦の​50代​。子育てが終​り、​夫と4ニャンと暮してい​る​結婚35年目です。 ​一人っ子の夫と結婚し、舅姑の理想の嫁でなかった私の結婚生活においての戦いを思い出しながら書いています。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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