性別:女
年齢:51
プロィール:51歳WEBライターです。仕事・家事に毎日奮闘中。日々の生活の中で感じたことを紹介します。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
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実家の父のお酒の話です。もしかするとアルコール依存症?と気づいたのは今から数年前、父が後期高齢者の年齢にさしかかった時に起こった出来事がきっかけでした。
若いころからお酒が好きで、毎日晩酌をしていた父。機嫌の良い日には、政治・芸能・スポーツなど、自分なりのテーマを酒の肴にしながら饒舌に語り、基本的には楽しいお酒でした。飲みたいだけ飲んで眠ってしまいます。
しかし、機嫌が悪い日や、会話の中でちょっとでも気に障ることを言われると、絡む・怒る・時には物にあたるなど、悪いお酒に変わっていました。幼かった私はそんな父の二面性を怖いと思いつつ、それでも父が好きでした。
しかし、私が成人したころには、悪いお酒の日が増え、夜中に寝ている家族全員を起こして説教を始めるようになりました。しかも、そのことをあまり覚えていない様子。思えばこの頃にはすでに依存症の兆候があったのかもしれません。
そして今。父は年齢を重ね、ほとんど毎日が悪いお酒の日になり、乱暴な態度も徐々に増長してきました。
さすがに「単なる酒癖の悪さ」ではないかもしれないと、母や姉に相談。すると、それぞれ気になりつつも、何もできずにいたことが分かりました。しかし、この段階であっても、「依存症」という決定的な言葉を口にする人はいませんでした。
そんな状況下で事件が勃発。父が初めて母に手をあげたのです。それまでは、どんなにお酒を飲もうが、機嫌が悪かろうが、周囲の人に手をあげることなどなかった父が、些細な口げんかの末、母の頬を殴りました。
さほど強く殴ったわけではありませんが、この出来事の衝撃は大きく、家族が実家に集結。父と話し合いを持とうとしたのですが、明らかに様子がおかしい。呂律が回らないのは当然のこと、自分が母を殴ったことも理解していませんし、お酒を飲んでいることすら認めない状態でした。
そうこうしているうちに、父は眠りについてしまったので、翌日、家族で話し合いを持つことをメモに記し、母は私の家に連れて帰りました。
翌日の話し合いでわかったのは、お酒を飲んだことはかろうじて覚えていたものの、母に手をあげたこと、私たちが駆け付けたこと、どこで眠ったのかなど、一連の出来事のほとんどを父が覚えていなかったことでした。
困惑しつつ、少しお酒を控えてほしいこと、母と仲良くしてほしいことなどをお願いして一旦帰宅。しばらく様子を見ることになりました。
この日の出来事がきっかけで、過去を回想してみると、実は依存症を疑う出来事が他にもたくさん起こっていました。
いつからなのかは定かではありませんが、お酒を隠れて飲むようになったこと、父自身がお酒を飲んでケガをすることが増えたこと、自覚のない行動が増えたことなど、いろんな話を聞きながら、いつものことだと割り切っていた自分がいました。
でもこれ、冷静に考えればアルコール依存症の症状に酷似しています。もっと早く気づいていればと後悔です。しかし、今更過去には戻れません。これからどうしていくべきか?悩ましい問題です。
この出来事以来、父が母に手をあげることはないのですが、相変わらず隠れてお酒を飲む、乱暴な言葉を吐く、記憶のない行動などは消えていません。
どんな対策があるのかなどを調べながら、トライ&エラーを繰り返しています。父のホームドクターの力をお借りしながら、最善の方法を探る日々です。
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