長年、母からの依存に苦しめられてきました。
病人を労わる気持ちで家族が母に接することが母のわがままを増長し、依存体質を作り上げたのだと思います。私は常に母の望みを聞き入れ、叶える努力をしてきました。
もちろん反発をして喧嘩になることもしょっちゅうありました。そのたびに、父が仲裁に入り、母の機嫌を取るような形で丸く収めるというもので、それが日常でした。
前回記事:誰よりも母の笑顔が欲しくて、「ノー」が言えなかったあの頃
私に子供ができると母は「おばあちゃん」と呼ばれる存在になりました。
それまで「おかあちゃん」と呼んでいたのに「おばあちゃん」とわざと呼ぶようにしたのです。母からは「何故おかあちゃんと呼ばない?」と聞かれました。「子供に合わせて」と答えましたが、本当の理由は、母だと思うと、あまりにも受け入れ難い存在が「おばあちゃん」と呼び方を変えるだけで、一人の老人と見ることができ、心が少し軽くなったのです。
呼び名を変えるだけで、こんなに違うのだと実感しました。
母としては嫌気がさすほどでしたが、孫である子供たちにとっては良いおばあちゃんであって欲しいと願っていたのです。それもあって、自分が我慢すればなんとかなる。なんとか家族に迷惑をかけないように母との関係性を維持していました。
父が亡くなったのをきっかけに、母は私の家で家族と共に暮らすようになりました。
元々母には糖尿病の持病があり、食生活に気を付けなければならないのですが、父が亡くなった寂しさからか、お酒とたばこを始め、一気に病状が悪化しました。医師や私の忠告も聞かず、好き放題にした結果、自宅で倒れて救急搬送される事が重なりました。
私には理想の母親像が強くありました。しかし現実があまりにもかけ離れていて、私にとって母は「母」ではなく、そんな人の娘である自分を恥ずかしいと思っていたのです。
そんな頃、母に振り回される日々が続き、ブログで気持ちを綴ってみました。
うちの母のような人はこの世に一人もいないと思っていました。
すると、ブログに共感や励ましや体験談や感謝の気持ちなど、驚くほどのコメントが寄せられたのです。これには目から鱗が落ちるほどの驚きました。
「私だけじゃない」は心の安定を受け取ることができました。
同時に、母に対する嫌悪感も薄らいでいったのです。
母のケアマネさんや担当主治医にも、母のありのままを話すようになりました。本当によく話を聞いてくださり、アドバイスをいただけました。これまで誰にも話せなかったことを話していくうちに、どんどん肩の力が抜けていく感じを覚えました。私には助けてくれる人が近くにいる。そう思うと心強かったのです。
大学を卒業した次男が東京から帰省中のときのことです。
束の間の休日を母も含め家族で楽しむことにしました。私の仕事中は一人にはしておくことができないため、平日はショートステイの制度を利用して有料老人ホームで暮らしてもらおうと考えていました。しかし、母は全身で入居を拒否し、手の付けられないヒステリーを起こしたのです。
この時、「これまでよく面倒を見ていた姿を知っている」「もう、十分やで。面倒みなくていいよ」と私の傍らで次男が言ったのです。
「そんなの無理」「おばあちゃんは一人では生きていけんよ」「どうするん?」と私は聞き返しました。
「それは、おばあちゃんが考えればいい」
「へっ?」。息子のこの言葉に衝撃を受けました。私は長い間、母は何もできない、私がしてあげなきゃ。と自分自身を縛っていたことに気がついたのです。
私じゃないと無理の罠に勝手にはまっていたのです。
よく考えてみれば、誰しも選択し決断して生きているのです。母にもできるはず。
私が本当に大切にしたいのは「私と子供」。母に振り回される人生をやめようと決断したのです。
「次、何か問題を起こしたら我が家では責任を持てない、一緒に暮らせない」と母に告げてその時はショートステイを断念しました。その後すぐに、お酒を飲み玄関で倒れている所を娘に発見され救急搬送されました。そして「規則正しい生活をするには見守りのある施設で暮らしてほしい」と母に人生の決断を迫ったのです。
母は頑なに拒否しました。「もう絶対にお酒は飲まない」と言うのですが、私は人生最大の「ノー」を母に突きつけました。
私の強い気持ちに押されたのか、母は考え、これからの人生を自分で決めたのです。
こうして「週末は家に帰る」を約束に、老人ホーム暮らしが始まりました。
母娘の関係は「毒親」という言葉が一時期話題になりました。ブログでも「うちの婆さん」で始まる記事はよく読まれていますので、関心が強いのだと思います。
私が母との関係で学んだのは、
理想の母親像を捨てる。
ひとりで抱え込まない。
相談相手を見つける。
母と自分の人生を切り離す。
自分を責めない。
自分を大切にする。
母が幸せかどうかは私にはわかりません。
ですが幸せは自分で感じるものです。それは誰しも平等なのです。
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