「人は他人を幸せにはできない」と私が悟ったときのこと/中道あん

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中道あん
大阪府在住。「女性の生き方ブログ!50代を丁寧に生きる、あんさん流」主宰。Ameba公式トップブロガー。
結婚22年で夫と別居。自立した人生を送るため正社員として働きだしました。社会人の長男、大学生の長女と同居しています。東京にはこの春入籍した次男夫婦がおり、要介護2の実母は3年半同居生活の後有料老人ホームにて暮らしております。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

前回のエピソード:『おとな』だから確立したい、自分の定番スタイル

もう随分遠い昔の話。40年近く前の話になるけれど、私が高校生になってすぐに母は体調を崩しはじめ、腎臓結石を機に入退院を繰り返すようになりました。

そして徐々に不定愁訴が加わり、日常生活にも支障をきたようになっていったのです。現在の医学なら原因を究明できたであろうが、その当時はなんだかよく分からず、内科と神経科を行き来する状態となりました。

さらに、母は生理周期によって感情の起伏が激しくなっていました。今思えば更年期でホルモンバランスを崩し、極端に心身ともに不調をきたす結果となったのであろうと思います。


子ども目線では、わが家はごく一般的な家庭でしたが、母にとっては不満だったようで、自分の現実の生活に苦しみ、父には敵意を剥き出しにし、私には依存するようになり、さらには受け入れがたい日常という現実に耐え兼ね、時には「死にたい」と漏らすようになったのです。

うちの家はゆるい坂を下った所にあり、高校へは自転車で通っており、授業が終わり坂の上まで帰ってくると、「今日は母の具合が悪くありませんように」と願いながら坂を下り、玄関のドアを恐る恐る開ける日々が続きました。


あれは、たしか高3の冬でした。

バイト代で貯めたお金を持って友達と梅田のファッションビルに出かけ、自分の洋服を買ったりしていたところ、ふと目にとまったワゴンの中に、バラの模様の赤いセーターが並べてあるのに気が付きました。それは明らかにおばさん仕様であったので、友達に「えーそんなん買うの?」と冷やかされつつ、ふさぎ込んでいる母が喜ぶであろうと思い、思いきって母にプレゼントをしました。

母はとても喜んでくれ、自分でも良かったとその時は思ったのです。

私は元気になって欲しくて全力で母の期待に応えようとし、手紙を書いて母を励ましたり、アルバイトで稼いだお小遣いで洋服を買ってあげたり、勿論具合の悪い日は家事も全て引き受けました。

母が喜びそうな事はとにかく何でもやってみましたが、母は一時的に気が晴れる事はあっても
それが幸せにつながることはなかったのです。

むしろ、私が気を回してあれこれすることが特別な事ではなく、当たり前になっていき、どんどん要求されるようになったのです。

思春期の私は当然、母に反抗もして大げんかをする時もありましたが、死なないで欲しいという思いから母の期待に応える努力をずっと続けたのです。

私は、いつしか「母のためにしなければならない」という強迫にかられるようになりました。

それは、「幸せではない母に」「あなたは幸せですよ」と気づかせようという努力の日々でした。


こうして、特に悲惨だった母の4、50代は原因が分からず仕舞いに、具合が悪くなると、検査入院し、時には手術をしなければならない病気も発見されたりもしながら過ぎていきました。

その間に、私は就職してそれなり独身生活も楽しみ、人並みに恋愛もするのですが、傍にはいつも母を幸せにする努力はついて回っていました。

やがて結婚をしてもその努力は相変わらずで、程度の差はあるが、それはずっと続くのでした。


人にしてあげられることで唯一かなえられないのは「人の気持ちをどうにかすること」だと思います。
喜び、楽しみ、幸せの物理的な形は与えられても、それを感じる気持ち、心だけはどうにもしてあげられないのです。
それは本人が生み出すものだから。

反対に、幸せにする努力を続けた私は、相手が幸せになったという見返りを期待するから
どんな努力も心が満たされることはありません。
私もまた幸せではないのです。

とあることがきっかけで、私は母の望みをかなえる努力をやめました。
それで母は前より一層不幸のどん底かといえば、以前と全く変わりない母が私の眼には映っています。
自分は何もしなくて、人から与えられるのを待っていても幸せはやってきません。
自分の幸せを他人に依存しても決して幸せにはなりません。
なぜなら、自分で行動しなければ幸せのバロメーターは振れないから。
人にしてもらうと、「もっと、ほしい」と思うようになるからです。

結局、幸せは自分が生み出すものなのです。

次の記事はこちら:私にとって幸せとは?自立してはじめて気づいた幸せの形

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『50代、もう一度「ひとり時間」』(KADOKAWA)

20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として普通に生きてきた。でも50代になると人生の転機が頼まれもしないのに訪れる。夫との別居、母の介護、女性としての身体の変化、子どもたちの成長。そこから見つけた「ひとりの楽しみ」をあますところなく伝え続ける「あんさん」流のアラフィフライフ。50代からの人生を前向きに過ごすためのヒントが満載。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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