<この体験記を書いた人>
ペンネーム:こんちぇると
性別:女
年齢:55
プロフィール:定年を目前に離職した夫と認知症の父、猫3匹と暮らしています。
ここ数年、義母の介護や実家の家じまい、そして今も続く父の介護。正直なところ精神的にも肉体的にも、とても疲れる日々が続いていました。ふと鏡を見た時に気づいた覇気のない私の顔は、実年齢よりもはるかに年を取って見えるだけでなく、なんだか惨めな印象です。自分のことは二の次にしてきた生活を恨めしくさえ感じます。
年々頑固になる夫にもストレスを感じていました。なんでもないことですぐに怒ったりするのも疲れる原因。
今までの遠距離通勤の疲れや仕事でのストレスに加え、自分の価値観にそぐわない息子達や介護が必要になった親達。夫もストレスを溜めているのはわかっていました。でも、私がどんな状態に置かれていても、夫はいつも唯我独尊。自分のこと先にありき......。巷でよく言われる夫源病や定年クライシス。定年を待たずして離職した夫に対し、不満ばかりが積もっていきます。
鏡に映った自分をぼんやりと眺めていて、ふと気がついたのです。私の皺はおでこと口元に集中。これって、私がいつも眉間に皺を寄せてるから? いつも口を尖らせているから? 亡き母は目じりの皺が多かったのに......。戦争という過酷な時代を生き抜いたのに、母はいつも笑顔を絶やさない人だった。私はこんな平和な時代に生きているのに、笑うことが減っている? これでいいのか?
そこで私は考えたのです。夫が怒りっぽいのは今に始まったことじゃない。結婚する前からその片鱗に気がついていたはず。それにストレス発散で余計な買い物に走るのは義母譲り。血がなせる所以だから言ってみても仕方がないこと。これ以上夫の嫌な思いばかりをつまみ上げるのはよそう。この人は元からそういう人で、昔から何も変わらない。これが夫の自然な姿。ありのままを受け入れよう。
それから、夫の行動に対し「この人はこういう人なんだ」という言葉を心の中でつぶやくことにしたのです。例えば、なんでもないことで怒ったときなら、今までなら「なんでこんなことくらいで怒るのよ!」と思っていたのを「この人は怒りやすい人なんだ」と。生まれ育った環境が違う人間同士が一緒にいるのですから、絶対に一つになることはないと、今さらながら初心に戻る私。長く一緒に暮らしても、夫は私とは違う人間です。
そう思うようになってからというもの、私は次第に夫の行動に対し何も感じなくなっていったのです。それは自分が無感情になったというのではなく、物事を俯瞰できるようになった、冷静にとらえられるようになった、そんな感じでしょうか。ちょっと言い過ぎなところがありますが「お釈迦様の掌の上」という表現に近いような感じです。
ここ数年、しょっちゅう感情的にぶつかり(正確には一方的に泣かされ)、自分の感情を押し殺してストレスを溜めていたのですが、最近ではそれがなくなりました。なんだか気が楽になりました。それだけでなく、夫が自分から「手伝おうか?」と言ってきたり、夫にも変化がみられるようになりました。
おそらく夫のありのままの姿を受け入れることにより、自覚症状はないのですが、私の行動なり言動なりが何か変わったのだと思います。それが夫にとっても居心地のよいものになっているのかもしれません。
一時は、私は経済的に自立できるなら夫の近くにはいたくないと思ったときもあり、夫は夫で私に家を出て欲しいと言ったこともありました。ですが、もうしばらくこのまま一緒に暮らしていけそうな気がしています。
関連記事:「猫は、落ち込まない」ってホント? ありのままで生きる猫たちが、教えてくれること
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。