<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ねこのきもちがわからない
性別:女
年齢:51
プロィール:職業WEBライター。2018年夏、お中元を巡って夫と義母の親子喧嘩が勃発しました。
初夏のこと。お中元の準備をするために義実家へ行きました。そこで百貨店から届いた発送リストをチェックしていたときのことです。義母が一通の手紙を出してきて「お中元を贈らないでほしいと書かれているの......」と、悲しそうな様子で言いました。
どういうこと?と思い夫と私で詳しく手紙を読んでみると、そこにはこう書かれていました。
・高齢なのでお中元の手配ができなくなってきた。
・経済的にも厳しいと感じるようになった。
・そのため、これまでのお中元のやり取りをお互いにやめませんか?
そして、申し訳ないというお詫びの言葉と、これからはお手紙でのやり取りをお願いしますと書かれていました。
この手紙からは、優しさと、自身の現状を真摯に伝えようとしている誠実さがうかがえます。
しかし、納得できない様子の義母は、おそらく相手の意図を読み間違っていると感じました。そこで、私たちが読み取った内容を義母に説明。すると義母は「わかった」と一言。理解してくれたのだホッとしました。
しかし、そこで事件が起こりました。
リストを見ながら、「この人には出さないよ」と手紙の相手を指差したところ、「出しといて」と義母の言葉が。
これには夫ともども「ん???」となりながら、再度義母に確認。「出しといて」に変化なしでした。そこでもう一度相手の思いを伝えてみました。
しかし、義母は、
・これまでの習慣だからやめることはできない。
・やめるのは不義理だ。
などとと言いはじめました。
義母の年代ならそう思うのかもしれません。しかし、それであっても先方が断っているのですからこれは「やる・やらない」の話ではなく、「できる・できない」の話です。
それを何度説明しても、全然話を聞いていないのか、そうするのが嫌なのか、義母は一歩もひきません。
いつも通りの静かな口調で、「わかった」というものの、「やっぱり出しといて」を繰り返す義母。これには夫の堪忍袋の緒が切れてしまいました。
「おふくろ、お中元は相手に対して感謝を形であらわすものだよな。あなたが贈りたいのは何? この人はきっとそれを分かっている。だからこんな丁寧な手紙を送ってきている。それを思うと俺は心が痛い。相手の事情を察してやれよ!」
と一喝。
それでもひかないのが義母。「そんな不義理なことはできない」と繰り返すだけ。
ヒートアップした夫がついに、「だったら自分でそう言って手紙を出せばいい。あなたは不義理だって書きなよ」と言ってしまいました。
その言葉を聞いて泣き出す義母。
「私が間違っているの? 私はこうして出しているし、同じ年齢なのだからできると思ったから......」
母の涙に弱い夫ですが、このときばかりはひるまずに「うん、おふくろが間違っている。自分がどうしたいとか、義理がどうとかどうでもいい。それにお中元の手配をしているのは俺ら夫婦だ。お袋じゃない。この手紙の相手にはそれがいないだけ。だからできないんだよ。察してやれよ」。
義母はそれでも納得できない様子でしたが、リストの「出さない」に大きくチェックを入れることで強制終了。このバトルに幕を下ろしました。
愛・友情・恩・義理・感謝......人間関係において、忘れてはいけないことは多々あります。しかし、年齢を重ねることでそれらを形に表すことが難しくなっていくのも事実です。白髪が増え、顔にシワが刻まれるように、人は変化をしていきます。その環境も行動範囲も。
今回のことは、義母の頑固で生真面目な一面を再認識するとともに、「変化を受け入れる難しさ」を感じた出来事でした。
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