「大変でした」と素直に言えた。分かってもらうことがこんなにも嬉しいなんて/タオ

こんにちは、タオです。

母が若年性認知症を発症して、現在は要介護度5、施設でお世話になっています。

前回の記事:「認知症の家族に会わない=愛情がない」ではない!介護者の心のケアについて思うこと

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母が施設に入った後でも、入退院などで入居先の施設を変えたりなどしていくうちに、お願いする側も介護の知識が必要なのでは・・・と思うようになりました。

(漫画では「ヘルパー二級」と描いていますが、2013年度に現在の「初任者研修」へと名称が変わりました)


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当時は20代ということもあり、
周りの友人や職場の方も、介護を要する身は居ない、あるいは祖父母は要介護だけど普段の生活もよく分からないという方ばかり。

事情を説明しなくてはいけない場面では必ず「大変だね」と声をかけられます。

つい最近までそこに居た私だからこそ
「大変って言ってもわかんないでしょ、どれだけ大変か」
と余計に隔たりを感じていました。
勿論善意からの言葉だと分かっているので
ただ一人、みじめな気持ちになるだけでした。

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その時私は、介護が始まってから初めて、
「そうなんです、大変でした」とうそをつかずに言えました。


たったそれだけの事が、ずーっと出来なかったのは

細やかな説明をしなくても分かってもらえる、
金銭や手続きのやりとりも関わりなく
私個人だけを見て励ましてくれる。
そんな存在が目の前に現れたからでした。

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健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

タオ

北関東在住、母ひとり子ひとりで人生を適当に過ごしていたら、母親が若年性認知症になり生活が一変して四苦八苦することに。介護へのイメージが一変する出来事や、当時教えて欲しかったなと思う事を描いています。

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