こんにちは山田あしゅらです。
義両親の在宅介護の様子を嫁の目線で綴った ブログ『13番さんのあな―介護家庭の日常―(現・13番さんのつぼ)』。
ここに書いてきた13年間の記録をもとに今の気持ちを織り交ぜつつ、改めて当時のことを振り返ってみようと思います。
【前回】先が見えない義父母のW介護。どちらか一方だけでも施設に預けなかったワケは.../山田あしゅら
【最初から読む】義両親の様子がおかしい...介護生活がはじまった日/山田あしゅら
先日、入所を先送りにした話を書きましたが...。
当時のブログ(2014年8月)にこの話を書いたところ
『入所したいと思ってもすぐには無理なのが現状。急に入所せざるを得なくなっても希望通りにはいきません。申し込み申請だけはしておいた方がいいです』
『重度の被介護者を2人もみるのは無謀です。お義母さまだけでも申し込みを』
などなど、長い介護期間を経て感覚がマヒ気味な私を心配するコメントが多く寄せられました。
もっとも 新しく担当になったケアマネきーさんも
わが家の危うさは前任のおーさんより引き継いだ時からずっと気になっていたようです。
これまでも面談のたびに
と、さりげなくアドバイスしつつ、なかなか煮え切らない私にかなりヤキモキしていたんじゃないかしら?
介護も長年続けていると介護者の『自分流』が出来上がってきます。
反面、これが感覚マヒの元凶ともなるのですが、この『自分流』は被介護者の症状悪化でたちどころに効力を失う危険もあるのです。
一応私は心の中でそのボーダーラインを『義父の居室を1階に移す時』としていました。
無理くりながら継続していた義父の2階居室ですが この時点ではそれが出来なくなるのも『時間の問題』。
そうなれば1階の居間には介護ベッドが2つ並び
私たちの居場所はどこへ?
目を背けていた義父との関わりもこれまでのようにはいきますまい。
義父の居室が1階にあることによって保たれていた『自分流』もたちどころに崩れてしまうことは容易く予想できたのです。
もちろん、きーさんも義父の介護の難しさは重々承知していましたので施設入所に関して、すぐには提案できずにいたようです。
当時の我がわりば市(架空の市です)は、まずまず大きな町にも関わらず特養はそれほど多くありませんでした。
と、いうことは競争率もハンパないということ。
とりあえず申し込みだけでもしといた方が良いのは確かです。
きーさんの言葉に少し気が楽になったところでやっと重い腰を上げることになった私たち。
特別養護老人ホームの見学に夫婦でチャレンジすることとなりました。
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