<この体験記を書いた人>
ペンネーム:栄一
性別:男
年齢:54
プロフィール:会社員です。出身は関東ですが大学が中部地方で、そのまま就職しました。上下水道施設の維持管理をしています。
5年前、50歳のときに、過労でうつになってしまいました。
当時、単身赴任先である東京本社の研究開発部で、下水処理場の運転管理の自動化を進める業務を担当していました。
1年間、東京で働きながらうつ病の治療を続けていましたが、仕事への意欲が減退してしまい、本社での業務をこなす自信がなくなって、地元の現場に戻ることに。
地元で1年間、下水処理場の水質管理の仕事をしながら、療養を続けましたが、一度失った自信は回復しませんでした。
会社からしばらく仕事を休んで治療に専念して欲しいと言われ、休職を選択。
1年余り仕事を休んで、うつ病の回復に努めましたが、元気だった頃の自分に戻ることはできずにいました。
そんな状態でしたが、主治医から復職の許可をもらい、不安を抱えながら仕事に戻りました。
それから3カ月仕事を続けましたが、暑い夏が過ぎて秋になった頃に、職場に行けなくなったのです。
それからはクリニックのデイケアに週3回通って、うつ病の治療を続けました。
さらに3カ月後に、週5回にデイケアの頻度を増やしました。
そのクリニックでは、週5回のデイケアを数カ月続けることが復職の目安とされています。
その期間が終わり、主治医に復職の話をしたところ「復職の判断には検査が必要」と言われました。
受けたのは、クレペリン検査とブルドン末梢検査という2種類の検査。
クレペリン検査とは、一桁の足し算をひたすら繰り返して、作業量や安定性をもとに仕事の能力を推定するもの。
当時は就職の試験でよく用いられていたのだとか。
ブルドン末梢検査は、複数の記号が並ぶ中から、指示された記号をチェックするという検査で、集中力や作業能力を測定する検査だということでした。
そのクリニックとしては、新しい試みだったようです。
検査を受けて3週間後に結果を聞きに行った私。
まさかと思いましたが、どちらの検査でも作業量が普通の人の半分程度という結果でした。
「職場に状況を理解してもらえれば可能かもしれないが、この状態では復職は難しい」
それが主治医の判断です。
会社の理解が得られず、翌年6月の休職期限を迎えて、自然退職となる可能性が出てきてしまったのです。
54歳という年齢で転職することは難しく、就職できたとしても収入は大幅に減少することが予想されます。
傷病手当が月35万円出ていて、生活には問題なかったのですが、1年半の支給期限を迎えて無収入となってしまい、その後の生活が困難になるのは目に見えていました。
プログラミングと技術文書の作成が得意なのですが、そのような仕事を地元で見つけるのは難しいです。
新型コロナウィルスの影響でテレワークの普及が進んでいたこともあり、自分に合った仕事を在宅でできないかと考え、ネットで情報を集めました。
小手調べで、ネットサイトの原稿に文章を追記する仕事を始めました。
土日も含めて、毎日20時から22時までの2時間で、与えられた指示に従って、ネットから文章を拾い出し、リライトするという仕事です。
1カ月半経過した後、担当するテーマが変わり、それについて何も知らなかった私は文章作成に苦労するようになりました。
2時間では終わらなくなり、日によっては4時間くらいかかることも。
在宅での仕事は、労力の割に報酬は少なく、これで食べていくのは難しいと感じています。
うつ病の症状は改善していません。
前途に悲観を感じながら、惰性でデイケアに通うという日々です。
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