<この体験記を書いた人>
ペンネーム:晴れのち曇り
性別:女
年齢:65
プロフィール:78歳の夫と二人暮らしの会社員です。
15年ほど前、父方の叔父が85歳でがんのため亡くなりました。
叔父は長い闘病中、腰を伸ばすこともできないほど痛がり、最後のほうには言葉を発することすら苦しそうでした。
薬で痛みを抑えているときでも、エビのように曲がってしまった体を伸ばすことはできませんでした。
叔父には、私が幼いころからあちこち旅行に連れていってもらい、折に触れて洋服やお菓子なども買ってもらいました。
入院当初はお見舞いに行くと、「元気にしているのか? 幸せなのか? 困ったことはないか?」と私を気遣ってくれ、あれこれと昔話に花を咲かせて楽しく会話したものです。
それが、入院の日数を重ねるごとに苦しそうな表情に変わり、こちらの問いかけには言葉少なに反応してくれるのですが、自分から進んで話すことはなくなっていきました。
そして、前述のとおり腹部が痛くて腰が伸ばせないと唸っていました。
少しの間は薬が効くのですが、しばらくすると表情が曇ってしまうのです。
そのうち、起きている叔父に会えることはほとんどなく、見舞いに行っても寝顔を見るだけになっていきました。
あの頃は叔父の曲がってしまった身体と、乾いて白くなった涙の跡を見て帰るだけのお見舞いに虚しさを感じていました。
2年に及ぶ闘病の末、78歳の叔母から最後だからと連絡があり、取るものも取り敢えず駆けつけたときは、叔父はすでに息を引き取っていました。
身体は曲がったままでしたが、表情は柔らかく元気なころの優しい叔父の顔でした。
葬儀の日、親族が集った席でお別れに際して、そばにいた50代の従妹に声をかけました。
「楽になって良かったね」
その瞬間、従妹はひどく驚いた後、何とも言えない嫌な顔をしました。
「それは違うわ! 良かったなんて失礼な!」
従妹の言い分はもっともな話で、父親を亡くして憔悴している人にかける言葉ではありません。
しかし、姪である私にとって、優しかった叔父が長い苦しみから解放されたことに対する安堵のほうが、悲しみよりも大きかったのです。
「叔父さん、もう苦しまなくていいんだよ。亡くなったことは寂しいけれど、苦しみから解放されて叔父さんにとっては良かったかもしれないね。叔父さんはもう十分頑張ったもの」
葬儀場からの帰り道、皆と別れて空を仰ぎ見ながらそう呟いて涙を流しました。
ですがあのとき、せめて言葉の補足をしていれば誤解を生むこともなく、従妹を不機嫌にさせたまま、わだかまりを残すこともなかったかもしれないと後悔しています。
従妹とはもともと交流が少なかったのですが、その後は以前にも増して疎遠になっています。
今さら言い訳をする気はさらさらないのですが、時と場所をわきまえて、日頃の相手との距離も考慮し、慎重に発言しなければと自分を戒めています。
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