20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として暮らしてきた中道あんさん。でも50代になると、夫との別居、女性としての身体の変化、母の介護...と、立て続けに「人生の転機」が訪れます。そんな激動の中で見つけた「50代からの人生を前向きに過ごすためのヒント」。
お母様が亡くなられて3カ月。何かと振り回されることが多かった40年の歳月。様々な声をかけられる中、中道さんが今感じていることは...
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2021年の秋に母が亡くなって、あれよあれよと日々が過ぎて新しい年になりました。
あれから3カ月が過ぎています。
問題の多かった母に翻弄させられ、老人ホームへ入所してからは私も落ち着いて暮らせるようになったのですが、58歳の人生の大半を母に振り回されていました。
母との確執は40年ほどあったでしょう。
結婚したら感謝ができるかも...、子どもを生んだら感謝できるかも...などと期待をもちましたが、やっぱりうちの母親は、私にとっては「迷惑千万!」という理解しがたいことが重なって、嫌いになるばかりでした。
そんな中のわずか一部分を書いたブログを読んでくれて方の中には「亡くなってほっとしたでしょう」と私に対する労わりの声をかけてくれたりします。
ただ親を見送って「ほっとする」という感情が分からないでいます。
施設に入っていたとはいえども関わりがないわけではありません。
けれど、普段そういう自分の時間を奪われてしまうことがなくなったからでしょうか。
面会の度にイライラが募り、毎回プンスカ怒りながら、施設から駅までわずな道のりを歩いていました。
駅についてホームで電車を待つ間、もう少し包容力をもって「はい、はい」ということを聞いていればこんな気持ちにならずに済むんじゃないの、と自分を戒める。
そして、電車の中では「これ以上自分を責めちゃいけない」とそれまでの感情を無かったことにして葬り去る。
そんな嫌な自分を見る事がなくなって「ほっとする」のでしょうか。
25年ほど付き合いのあるヘアサロンの先生に母が亡くなったことを伝えました。
その時、最後はとても美人な顔立ちだったことを伝えると「仏様になられたからですね」と仰って、なるほどなと納得しました。
生きているからこそ、苦しみや不安などの感情がどうしても顔にでてしまう。
表情は内面を表す鏡なのですね。
生きていれば、恨み辛みの感情も芽生えるけれど、仏様になった姿をみた途端、私は母のことが嫌いでなくなりました。
「あんなに嫌だったのになぁ」どこへ行ってしまったんだろうか、あの嫌な感情は...。
だからといって悲しいという訳ではありません。
むしろ、やりきった感に近いものでした。
「そうか終わったんだ」という最後まで母に付き合ってきたというゴールのテープを切った感じです。
「ほっとした」というよりも、「終わった」という感じでしょうか。
それでも、デパ地下のお寿司屋さんや、お刺身コーナー、料亭のお弁当の前を通ると「あぁ、買っていってあげよう」という感覚が体を走り抜けるのです。
そして、その後すぐに「要らんねんや」という寂しい気持ちになります。
「そうか、もう買うことがないんだよね」と独り言。
ごくたまにあることですが、夜、もう寝ようと自分の部屋に入ると、ふと母の気配を感じます。
もちろん霊感などないので、見えたりはしません。
怖いだとか、嬉しいだとかの感情もおきませんが、母の体温がふわっとからだに触れる感覚がするのです。
「お母ちゃん、おるやん」と呟く。
それは子どもの頃に感じた母の温もりと同じでした。
そうか、そういうことは忘れずに覚えているものだと分かりました。
血の繋がりって濃いものですね。
母とのことは、終わってしまった関係性だと考えていました。
でも、いつまで続くかは分かりませんが、母の姿が自分の中でどんどん変わっていくのだろうと思います。
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