亡きお義母さんに恥じないように...尊敬していた義母の葬儀で感じた感謝と、私の決意

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:栄一
性別:男
年齢:54
プロフィール:会社員です。出身は関東ですが大学が中部地方で、そのまま就職しました。上下水道施設の維持管理をしています。

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娘(25歳)の成長(高校卒業、大学進学、就職など)を見るにつけ、義母が生きていたら、どんなに喜んでくれたかと思います。

14年前に亡くなった義母は、看護師として忙しく働きながら、近所づきあい、親類とのつきあいなどもそつなくこなしていました。

高齢化が進んでいる近所では、若手として自治会の活動(ごみの分別や河川清掃など)に積極的に参加し、ありがたがられていました。

私自身も一緒に買い物に行ったときに、私の好みを聞いて合わせてくれたり、親戚づきあいの際、私を立ててくれたり、義母のさり気ない気づかいに感謝していました。

おばあちゃん子だった娘は、小学校の頃までは何をするのでも義母にやり方を聞いていて、義母がやさしく手を取って教えてくれるのをうれしがっていました。

義母は65歳で退職しましたが、その頃から体調が悪い日が続き、検査の結果、白血病と診断され入院しました。

そして2007年7月に入院して、9月7日に亡くなりました。

告別式には大勢の弔問客がありました。

告別式のあと、初七日の席が設けられ、親族、病院の関係者などをもてなしました。

義母は精神科の病院に勤めていたのですが「心に傷を負った患者さん達に優しく、ときに厳しく接していた」と病院の方々に聞きました。

外科や内科の病院なら、けがや病気が治れば退院できますが、精神科では一生治らない病気、歳とともに進行してしまう病気などがあり、入院は長期間にわたることが多いそうです。

義母はそのような病気を抱えた患者さんの病状を把握して、それぞれに合った看護の方法を日ごろから研究して、実践していたようです。

それには医師や他の病院スタッフとの緊密な連携が必要になるそうですが、義母は忙しい仕事の合間を縫って、同僚とのコミュニケーションを心掛けていたのだと思います。

そうした義母の努力のせいか、患者さんたちは退院する際「○○さん(義母のこと)に会えなくなるのは寂しい」と言っていたそうです。

また、職場では若い看護師たちの良き相談相手となって慕われていたのだとか。

退職のときは、長年勤めていたこともあり、惜しまれて職場を離れたそうです。

65歳という年齢で逝った義母に、早すぎたと、弔問客の皆さんが悲しんでくれました。

葬儀をなんとか乗り切れたことで緊張の糸が切れた私は、義母へ親孝行ができなかった、と悔やむ思いばかりがあふれてきました。

弔問客が多く慕われていた義母。

孫である娘から見た義母は、ひたすら優しい存在だったようです。

小学校で書いた作文でも、私たちよりも義母が中心になっていて、義母に教えてもらったことや、助けてもらったことを感謝の言葉を添えて書いていました。

それだけ大きな存在だった義母を失った衝撃は大きく、娘はしばらくの間は元気をなくした様子でした。

私もたくさんの愛情をもらいましたが、私はそれを義母に返せていたでしょうか。

義母ほど立派には務められそうもありませんが、家長として娘からも頼りになる存在に慣れるよう、心がけています。

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