<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ぽに子
性別:女
年齢:46
プロフィール:小・中学生の子どもがいる兼業主婦です。パートで働きながら、自分時間も大切に生きたいと思っています。
結婚して実家から離れてすぐは、ちょっと寂しい気持ちになることもありました。
子どもが生まれたあともなかなか実家に帰ることができなかったのですが、そこでとてもよくしてくれていたのが夫の大叔母(90歳前半で他界)です。
大叔母は子どもがいないのもあったのか、近所に住んでいた夫を小さい頃からとても可愛がっていたそうです。
ですので私と夫が結婚したとき、子どもを出産したときにも大喜びでお祝いをいただきました。
生まれた子も、本当の孫のように可愛がってくれていたのです。
なので子どもたちも「〇〇(大叔母の名前)おばあちゃん」と言ってよくなついていました。
大叔母は歩いて10分くらいの場所に住んでいたので、子どもが小さいうちは月に2、3回は大叔母の所に顔を出していました。
行くととても喜んでくれて、一緒にお昼ご飯を食べたりおやつをいただいたり、のんびりおしゃべりをして大叔母の話を聞いていました。
子どもたちのためにお昼寝布団を用意してくれていて、小さい子のおもちゃも買って置いてくれていました。
大叔母は子どもができなかったので肩身の狭い思いをしたらしいのですが、今こうやってひ孫のような子どもが遊びに来てくれるので幸せだと言っていました。
私からしてもちょうど自分の祖母と同年代の大叔母だったので、小さい頃を思い出して楽しい時間でした。
産後4カ月から働き始めた私のことを、無理しないようにと心配してくれました。
血のつながっていない私のことも、自分の娘のように大切にしてくれたのです。
まだパートだった頃は、時間があれば大叔母の家に寄って子どもと遊んでもらっていました。
でも上の子が大きくなり、私がフルタイムで働くようになると、なかなか大叔母の家にまで遊びに行く時間が作れなくなってしまいました。
次第に会う回数が減って、小学生になる頃には、盆とお正月くらいになってしまいました。
義母(60代後半)はたまに顔を出していたようですが、いつも大叔母は私と夫の子どもの話をしていたみたいです。
可愛がってくれているのに会いに行けず申し訳ないな、と思っていました。
子どもたちは、時間があるときにはたまに遊びに行っていたようで、そのたびに楽しそうに帰宅していました。
今から7年前の大叔母の誕生日、子どもたちは「プレゼントを作ったから持って行くよ」と言いました。
私はたまたまその日は早く仕事が終わった日でしたが、夕方の一番忙しい時間帯だったので、いつもなら「行ってらっしゃい」で終わりです。
でも何となくそのとき、「今日はどうしても会わなきゃいけない気がする」と思ったんです。
そこで大叔母の好きなパン屋さんで買った食パンとささやかな花束を持って行きました。
お久しぶりです、と挨拶して、半年ぶりくらいに大叔母とゆっくり座って話をしました。
大叔母は、近所の人にいつも可愛い孫が遊びに来ていいねーと羨ましがられるそうです。
たくさん遊びに来てくれてありがとうね、と改めてそのときに大叔母にお礼を言われました。
子どもたちから手作りのプレゼントをもらってとても喜んでいたのを覚えています。
大叔母が亡くなったのはそれから3日後のことでした。
年齢的にはいつ亡くなってもおかしくない...それはわかっていたことなのに、突然のことにショックを受けました。
もっと会っておけば良かったという後悔もありますが、大叔母の最期の誕生日を孫のような娘たちと笑顔で過ごすことができて良かったとも思っています。
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