失語症になった78歳義父が笑顔で「そうそう」。大変だったけど、ほっこりした会話

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:トリコ
性別:女
年齢:48
プロフィール:鉄工所を営む夫の不倫、若いイケメンが好きな実母、近くで暮らすマイペースな義父に悩まされている主婦です。

失語症になった78歳義父が笑顔で「そうそう」。大変だったけど、ほっこりした会話 42.jpg

わが家の近くで一人暮らしをしている78歳の義父は、1年前に発症した脳梗塞の後遺症で軽度の失語症になり、言葉がスムーズに出てきません。

そのため義父と会話をする時は、途切れ途切れに発せられる短い単語から、何を言いたいのか推理しないといけません。

幸い、周りの人が話す内容は理解できるので、義父の言葉をもとに「こういうこと?」「それともこういうこと?」と質問を繰り返して意思の疎通を図ります。

ただ、うまく言い当てられない時もあり、その場合は非常にややこしい事態に陥ります。

あれは年の瀬が迫った2020年12月のことです。

義父の家で片づけをしていると、使っていないはずの部屋から物音が聞こえてきました。

ドア越しに中を覗くと、パソコンについた埃を払う義父の姿がありました。

そのパソコンは、仕事一筋だった義父が現役引退後に買った趣味の品でした。

はじめは電源を入れることすらおぼつかなかったのに、近所のパソコン教室に通い始めるや、みるみる操作を覚えて年賀状やカレンダーを作成できるまでに腕を上げていきました。

それなのに脳梗塞を発症してからは、文字入力もままならず、通っていた教室は辞めることになりました。

私の気配に気づいて振り返った義父は「ま、また、つ、使うから」と言って照れくさそうに笑いました。

きっと、練習すれば以前のように操作ができると思っているのでしょう。

どう言葉を返せばいいのか迷っていると「コーヒーでも行くかな」と珍しくはっきりしゃべる声が聞こえました。

「コーヒーへ行く」とは喫茶店に行くという意味です。

言葉は不自由ながらも足腰が丈夫な義父は、散歩がてらコーヒーを飲みによく出かけていました。

注文はメニューを指さすだけ、支払いはあらかじめ買ってあるコーヒーチケットを渡すだけなので、店員さんと話す必要もありません。

ただ、暖冬とはいえ日が陰ると気温もぐっと下がります。

帰りは車で迎えに行こうと思い、どこの喫茶店へ行くのか尋ねました。

私の質問に「エ、エキの、エ、エキの...」と繰り返す義父。

「駅前にある店のこと?」といつものように推理すると、「そうそう」と頷きます。

「帰りは車で迎えに行くね」と運転するジェスチャーを交えて伝えると、「うんうん」とこれまた頷いて出かけていきました。

ところが、片づけが一段落して駅前の喫茶店を覗くと、そこにいるはずの義父の姿が見当たらないではないですか。

連絡を取ろうにも、義父は失語症になってから携帯電話を持ち歩かなくなりました。

仕方なく、駅の近くにある喫茶店を何軒か探してみることに。

その間、太陽は西の空へと傾いていき、待ちくたびれた義父が、この寒空のなか歩いて帰ってしまうのではないかと心配になりました。

まさかここにはいないだろう。

そう思いつつ入った店の窓際に、見覚えのある背中を見つけました。

そこは駅とは反対方向にある喫茶店でした。

義父は会話が通じないと面倒くさくなって適当に頷く癖があります。

今回もその癖が出て、すれ違ってしまったようでした。

「駅前の喫茶店に行くんじゃなかったの?」

心配したぶん怒りが出てきて少々言葉がキツくなりました。

しかし、義父はとくに気にしている様子はなく「パ、パソコンの、パソコンの」と嬉しそうに繰り返します。

パソコンと喫茶店にどういう関係があるのかとさらに怒りが湧いてきた瞬間、その店がパソコン教室の近くにあると気づきました。

脳梗塞を発症する前、教室の仲間とよく立ち寄っていた喫茶店だったのです。

「そうか。懐かしくなったんだね」

私の言葉が通じているのかいないのか、コーヒーカップを置いた義父が「そうそう」と笑顔で頷きました。

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