<この体験記を書いた人>
ペンネーム:濃姫
性別:女
年齢:43
プロフィール:夫と2人の子どもとの4人家族。夫の実家で義父母のお店を手伝いながら、半同居をしている主婦。
2年前に父(77歳)ががんで他界しました。
原因は直腸癌でしたが、父は我慢強い人だったため、不調を訴え入院した時には、あらゆる所に転移しており、余命3カ月と言われました。
医師から余命宣告を受けたのは私1人だったため、父と母には余命のことは言いませんでした。
入院して10日程経ち、担当医から「症状が落ち着いてきたので、そろそろ緩和ケア病棟に移る準備をしてください」と言われた4日後、父は容態が急変し亡くなりました。
突然父を失った私は泣いてばかりいましたが、兄(50歳)と母(75歳)は、気丈に振舞っていました。
父と母はとても仲が良く、父が母を常に守っていた印象があり、私は母が悲しみに打ちのめされてしまうことを想像していたため、気丈に振舞う母を見て正直驚きました。
そのため、私はこの時、母がどれだけつらかったのか気づけなかったのです。
通夜、告別式、四十九日が終わり、日常の生活が戻ると、母は通っていた手芸サークルや体操教室にも行く気が起きないようで、しばらく家でボーっとしていました。
そんな母が心配で、交代で家族の誰かが様子を見に行っていました。
1カ月ほどそのような日々を過ごしましたが、母は少しずつ元気を取り戻し、手芸サークルや体操教室にも以前のように通い始めました。
近所の仲良しさんとランチや散策にも出かけるようになり、私達家族は一安心していたのです。
しかし、やはり母は父が亡くなったことを受け入れることができなかったようです。
ある日、兄からこんな電話がありました。
「昨日母さんの所に泊まったんだけど、お父さんがお茶を淹れて欲しいって言ってるからって、朝の5時頃起きてきてさ。俺が父さんはもう亡くなったんだよって言ったら、『え⁉』って驚いているんだよね...。しばらくしたら思い出して納得していたけど」
私は母が心配になり、仕事が休みの日に母と一緒に父のお墓参りに行って、昼ご飯を食べることにしたのです。
当日、実家に迎えに行くと、母はお墓に備える花を用意していたり、車の中でも父の最期の様子やお葬式の話をしていました。
兄の話は早朝の出来事だから、父の夢でも見て寝ぼけていたのかな? と思いました。
しかし、お墓参りが終わり、お昼ご飯をどこで食べるか相談しようとしたら、母が「お父さんのお昼ご飯を用意してくるのを忘れたから、何か買って帰りましょ」と言うのです。
「お父さんは亡くなったから家にはもういないのよ。今お参りしてきたでしょ」
「え⁉ 今お墓参りしたのは貴女のおじいちゃんのお墓でしょ? お父さんは家で待ってるわよ」
私は困惑しながら、母といつも行くレストランに車を走らせました。
母は車の中では無言でしたが、レストランに着くと普通の状態に戻っていて、父のことは全く口にせず楽しいランチタイムを過ごしました。
しかし、それから母は父が生きている妄想が徐々に増えてきているようです。
さらに現実のことを忘れてしまう症状も出始め、どうしたらよいものか家族で相談しています。
関連の体験記:最期までお母さんらしかったね。お疲れ様でした。ありがとう。
関連の体験記:共働きの息子夫婦に頼まれ、2歳から預かった孫娘。彼女が「小学校で書いた作文」で嫁との関係が...
関連の体験記:娘には言えないけど...70歳手前、貯蓄はキープしたい私たち夫婦にとって「可愛い孫」への出費が痛い
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。