「これでチャラやから!ガチャン!!」地獄の同居生活の終わりと「姑との電話」/かづ

アメブロで「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」を運営しているかづと申します。

現在は夫婦二人と3ニャンとで暮らしています。

今から36年以上前の、結婚当初のことを思い出しながら書いています。

前回の記事:「世話になってる人間がなんで金払うねん!」姑が怒り狂った「高額の酒代」請求問題

「これでチャラやから!ガチャン!!」地獄の同居生活の終わりと「姑との電話」/かづ pixta_25474234_S.jpg

姑の退院後、我が家に来てから早2ヶ月が経っていた。

姑はほとんど外出することなく、一日のほとんどをリビングでテレビを見たり昼寝をして過ごしていた。

膝の手術後の具合は、それほど広くもない3LDKマンションの室内をうろつく程度なので良くなったかどうかは分からないが、日数からしても手術の範囲からしても普段の生活に不自由が無くなっているはずに違いない。

けれども術後の診察から帰ってくるたびに

「まだジッとしてなさいって医者が言うのよ~」

と姑に言われれば、そんなはずは無いとは言えなかった。

ある日の事。

姑が朝食が終わった直後に、自宅に用事があるので行ってくると言って出て行った。

大丈夫なのかと聞くと

「ゆっくりぼちぼち行くから大丈夫」

と姑は言う。

戸口から戸口まで5分も掛からないから、一緒に行く事も無いだろう。

姑は昼ご飯の時間になっても戻って来ないので電話を掛けたが出ない。

舅にそれを言うと

「向こうで昼寝でもしとんとちゃうか?」

と気にもしていない。

いつ戻って来てもいいように、舅にお昼を出しながら、姑の分は用意をしてラップをかけて冷蔵庫に入れて置いた。

結局姑は15時を過ぎても戻って来なかったが、私は心配よりも姑が戻って来なければそれはそれで良かった。

姑が帰宅したのは、もうじき夕食と言う時間だった。

玄関から「ただいま」と姑の明るい声が聞こえ、リビングに入って来たその姿を見て驚いた。
つば広の帽子をかぶり大きな花柄のワンピース姿で、両手には紙袋がいくつも握られていた。

「あ~あ、しんどっ!」

そう言ってリビングに座り込む姑。

帽子を取ったら美容院に行って来たのか髪は染めていて、顔はばっちりメイクだった。

「どこに行ってたんですか??」

私は驚いて聞いた。

「今日いつも行ってた化粧品屋でお手入れ会やってん♪ 髪も入院前からしたら3ヶ月近く行ってへんかったから、白髪がようけ出て来てたやろ?」

姑はニコニコと笑顔で紙袋の中身をテーブルに出した。

それらは折り畳み傘が4本にポーチが5~6個、ハンカチが数枚だった。

「2万円買ったら傘1本貰えて、1万円でポーチで5千円でハンカチやったわ。これ資〇堂って書いてるから、私使わんからあんたにあげる。お友達にでもあげたら? だってこの傘2万円買わんと貰えんやつやから、喜ばれんで。」

今もあるのかはわからないが、当時はお買い上げ金額によって、ノベルティを色々貰えていた。

ざっと見積もっても化粧品屋で10万円ほど買ってる。

妬みではなく、そんなに元気だったらここに戻って来なくてもいいのにと、はらわたが煮えくり返る思いだった。

夕飯の時から寝るまで、ずっと一日あった事を嬉々として話す姑。

もちろん息子である夫が帰宅してからも、ペラペラと喋り続けていた。

その夜、寝室で私の怒りが爆発した。

「医者からウロウロせんと息子に面倒見て貰えって言われたからって、今日の今日までずっと世話になっといて、自分は着飾って美容院に化粧品屋のお手入れ会!? そんなに元気やったら家に帰れるやんか! 一日あっち行ったりこっち行ったり出来るんやったら、家に帰っても生活できるやん! ご飯なんか店屋もんでもなんでも取ったらええやん! 傘やらポーチやら紙袋で化粧品ゴロゴロ持って帰れるんやったら、買い物行って弁当でも買って帰れるやろ! 最初は2~3日言うといて、もう3か月近くやん! 息子に面倒見て貰ってって、あんたが何したんよ!! 面倒見てんのは私や!!」

もう舅姑の部屋にまで聞こえるほどの声で夫に怒鳴った。

「わかった...、そしたら明日おふくろに言うから...。」

そう言う夫に

「絶対やからね!!」

と私は念を押した。

翌日の朝、台所で朝食と弁当を作っている私の後ろでテレビを見ながら新聞を広げている夫に、部屋から出て来た姑がこう言った。

「長い事お世話になったけど、今日朝ご飯食べたら帰るから。えらいお世話になりました!!」

それだけ言うと姑は部屋に戻って行った。

夫は私の方を向き、無言で「これでええやろ」と言う顔をした。

私は腹の中がムカムカしていたが、それでも今日舅姑が帰るんだと思うとホッとした。

姑達は朝ご飯が終わった後、身の回りの荷物だけ持って自宅に帰って行った。

布団は当分お客様用の布団を使うからと、夫が次の休みに残りの荷物と一緒に運ぶ事になった。

何もしなかった夫に礼は言ったものの、私には当然何一つ礼など無い。

舅姑が帰った後、ドッと疲れが襲ってきてグッタリだった。

それでもやっと帰ったと、久しぶりの解放感に浸った。

その日から4~5日ほど経った日、インターホンが鳴った。

出ると姑御用達の電気屋が2人立っていた。

「これ奥様からご依頼があったんで、取り付けさせて頂きます。」

そう言って電気屋は大きな箱を数箱持って部屋にあがって来た。

「いえ、何も聞いてませんけど...。」

そう言う私を尻目に

「台所はこちらですね。」

と言って電気屋は手慣れた様子でテキパキと箱を台所に運び込み梱包を解いた。

出て来たのは電子レンジとレンジ台だった。

当時我が家はまだ電子レンジを持っていなかったので、喜びもあったが驚きの方が大きかった。

電気屋がササっと設置を済ませ、ザッと説明をして帰って行った。

すぐさま私は姑にお礼の電話をした。

「あのお義母さん...」

私が話すや否や

「あ!届いたか!? これであんたに世話になったのはチャラやから!! ガチャン!!」

そう言って姑は電話を切った。

姑のプレゼントに内心この数か月で少しでも私への感謝から関係が良くなるのかと喜んだ私は、電子レンジで全てが「無かった事」とされたのが分かった。

続く

【続きのエピソード】二人目の妊娠報告。姑は一瞬の絶句の後、みるみる「般若の顔」になり.../かづ

【最初から読む】アッシー・メッシー・貢君だった彼が突然父に結婚の挨拶! 夫との馴れ初め/かづ

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かづ

​ブログ「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」の管理人で、Ameba公式トップブロガー。 ​基本専業主婦の​50代​。子育てが終​り、​夫と4ニャンと暮してい​る​結婚36年目です。 ​一人っ子の夫と結婚し、舅姑の理想の嫁でなかった私の結婚生活においての戦いを思い出しながら書いています。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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