20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として暮らしてきた中道あんさん。でも50代になると、夫との別居、女性としての身体の変化、母の介護...と、立て続けに「人生の転機」が訪れます。そんな激動の中で見つけた「50代からの人生を前向きに過ごすためのヒント」。今回は「親の葬儀について思うこと」をご紹介します。
前回の記事:外出しないと...こんなに老けるの⁉ 鏡を見るのが嫌になった「50代の私」が気づいたこと
ブログでたまたま見つけた、「親の葬儀」についての記事に、私の父の時を思い出し、考えさせられました。
私は10年間、肝臓がんと闘病した父を、病院で看取りました。
もう天に召されるという時に葬儀会社の互助会に入会したものの、どんな葬儀にしようか悩みました。
というのも、実家は大阪なのですが、田舎の風習が抜けきらない、古いしきたりを守り続ける土地でした。
なので、郊外の住宅街のように若い世代が外部からどんどん流入することはなく、後継ぎ制度を守り、自治会全員がすべて顔見知り。
ご近所で形成されるとなり組は、ガラスで家が建てられているかのように「プライベートが丸見え」のような関係性でした。
いわゆる村社会です。
人が生まれる、結婚する、亡くなる、供養をする。これらのイベントは村をあげて行う。
子どもの頃からその同調圧力には異様さを感じていました。
それがとても嫌で嫌で仕方がありませんでした。
結婚式にはとなり組も招待。
出産したら村じゅうからお祝いが届けられ、お宮参りにはご祝儀袋がわんさかということに。
そのようなイベントを過ぎて、人は最後に亡くなります。
すると、家族はとなり組に葬儀費用を預け全てを任せる。
葬儀の参列者は全世帯から1名ずつなので相当な人数になります。
母の代わりに何度か手伝いに行きましたが、まるで一大イベント。
ご近所や親せきが集まって故人を見送る。
火葬場から戻った家族は参列いただいた方やお手伝いの皆さんをお膳でもてなしをして葬儀終了です。
なので葬儀は高額費用でした(それでも父が亡くなる頃には葬儀会館で行われることが多くなり、派手な冠婚葬祭のしきたりは薄れつつもありました)。
しかし、我が家は父を家族葬で見送ると決めました。
「うちが家族葬1号になる!」と。
理由はこれまでの葬儀は見栄でしかないと思ったのです。
心から盛大な葬儀をしたいお宅はそうすればいい。
けれど小さな葬儀で十分なのに見栄を張る必要があるのかなと。
ご近所に気がつかれないように実家から離れた葬儀会館で家族葬をしました。
けれど、となり組全世帯に粗供養などもってご挨拶まわりをした時のこと、「家族葬をしてくれてありがとう!後に続けるわ」というお礼を言われて、みんな同じように思っていたのだなぁと感じました。
ご近所はもちろん、親せきも呼ばない、家族だけの葬儀費用は確か80~100万円で、プラスお寺にお支払いするお布施や御膳料・お車代だったと思います。
総計でも通常の3分の1程度でした。
葬儀会館で感じたのは場所が広すぎること。
椅子がいっぱい並べてあっても参列者は家族6人。
人目を気にせず、気を使うこともないのですが、余分に花を飾っても殺風景。
どことなく寂しいと感じていました。
先日見たブログでは、お母さまの葬儀は葬儀会館を使わずに自宅で、そして通夜・告別式を行わない直葬プランで行われたとのこと。
その風景にプチ感動したんです。
自宅で3泊安置してもらえたとも書かれていました。
父の場合は葬儀会館の安置所で一晩、葬儀会館で二晩。
ひとりぼっちにさせてしまったあの時を、申し訳ないなと思いました。
また、よくある遺影もやめて、元気な時のベストショットのお写真を使用されたとのこと。
その周りにたくさんお花が飾られ、祭壇の豪華さとは違うけれど、私がお母さまならこのほうがきっと嬉しいと思いました。
(遺影はホント、必要ないと思います。うちも飾れず、捨てられずにいます)
そのブログには「故人のために家族が色々することが弔いだと思う」と書かれていて、本当にそうだな...と思いました。
大金をかけてもらっても仏さんになってしまったら分からへん。
弔いの気持ちがかかる費用の負担で薄れるくらいならいっそ見栄なんて捨てたほうがいい
母は自分のために互助会に入っています。
だれもいない葬儀会館で安置されるのとわが家ではどちらがいいのか?
聞いてみなくても...きっと、「家がええ」。
ふと、考えさせられた出来事でした。
【まとめ読み】50代のエッセンス満載♪ 中道あんさんの記事リスト
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