「病気の名前は、肺がんです」。突然の医師からの宣告。しかもいきなりステージ4......。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。21章(全38章)までを全35回(予定)にわたってお届けします。
12月中旬を過ぎると、胸の痛みはさらに強くなってきた。
痛み止めのロキソニンを飲むことが多くなってきた。
なるべく飲みたくなかったのだけれど、痛みを我慢していると体力の消耗が激しかった。
立川のクリニックでがんの好転反応のことを聞いてみた。
様々な治療が功を奏し、がんが快方に向かっているのであれば、何か好転反応のような兆しがあるのかもしれない。
また、そういう兆しが自覚できれば心の支えになる。
「わかりません」
ドクターはそっけなく答えた。
なんだ、わからないのか。
もしかするとこのドクターはあまり患者の状態を観察したりヒアリングしたりしない人なのかもしれない。
そういえば、いつも鍼治療の後で出てきて、3分診療どころか1分くらいで終わっちゃうし。
うーん、参考にもなりゃしない。
「先生、がんが時々痛むんです。そういうときは痛み止めを飲んでもいいですか?」
痛み止めはもう既に飲んでいたが、確認のために聞いてみた。
「それはダメです。西洋医学では痛みを感じないように......」
ドクターは西洋医学の批判を始めた。
いやいや、僕、すっごく痛いんですけど......
死を覚悟するほど痛いんですけど。
ドクターは一通り西洋医学の批判を終え、僕の目を見て言った。
「がんに痛みはありません」
「いや、でも実際、痛いんです」
「私の今までの治療経験で、がんが痛いということはありません」
「じゃあ、なんなんでしょうか?」
「わかりません」
なんだよ、答えになってないじゃないか。
食事指導や免疫神経などは専門だけど、がんに対する痛みとか対処とか、そういったものには全く頼りにならないじゃないか。
これは自分でどうにかするしかない。
先日会ったヒーラー山中さんのほうが、そういったことはよっぽど詳しかった。
12月の下旬になると、大きく息を吸うだけで胸が痛くなった。
そして、喉が腫れ、声が嗄れ始め、すぐに森進一のようなスーパーハスキーボイスになった。
もう、以前の声が思い出せなかった。
僕の声を聞いた妻は、毎日はちみつ大根を作ってくれた。
喉にいいらしい。
毎晩びしょびしょに寝汗をかき、パジャマを3回は替えるようになっていた。
咳をすると血が混じることが普通になった。
ある日、久々にジムに顔を出した。
真部会長や教えていた選手たちが心配して話しかけてくる。
「大丈夫、必ず治るから!」
にこやかに返すが、嗄れた声が自分でも痛々しく感じた。
僕の嗄れた声を聞くと、みんな一瞬びっくりしたような顔をした。
「俺たち、信じてますから。刀根さんなら絶対に治るって、信じてますから」
ボクサーたちはみんな優しくて気持ちのいい連中なんだ。
ジムにいるみんなが元気に動いていた。
サンドバッグを叩く。
ロープを飛ぶ。パンチングボールを叩く。
向かい合って殴りあう。
つい数カ月前まで僕がいた世界。
しかし、もう遠くに行ってしまった。
選手や練習生たちの躍動する身体を見ているうちに、涙が出てきた。
僕はもう二度と、こんなふうに身体を動かすことはできないんだ......もう、二度と......。
一人で家にいるとき、ふと気づくと、掛川医師の声が頭の中にこだましていた。
「胸が、痛ーくなります」
「咳が止まらなくなります」
「痰に血が混じります」
まさに、まさにヤツの言った通りになっているじゃないか。
じゃあ、次は......。
「水が飲めなくなります」
「だるくなります」
「寝たきりになります」
うわー、いやだ、いやだ。
僕の背後にはいつも死神が立っていた。
「ほら、無駄な努力なんだよ。お前は死ぬんだ」
「いやだ、僕は死なない。死ぬわけにはいかない」
「がんになったらみんな死ぬんだ、諦めろよ」
「絶対に諦めない。最後まで抵抗してやる。この戦いは勝つしかないんだ」
「ははは、お前はもう長くない。春まで生きれると思うか?無理だね無理。桜なんて見れやしないぜ」
「うるさい!僕は桜を見てやるんだ。妻と2人で新宿御苑に花見に行ってやる!」
「行けるもんか。桜が咲く頃、お前はもう生きてなんてない」
「やかましい!!!」
無意識に死神と会話をしている自分がいた。
まずい、これ以上ヤツと話すな。
底なしネガティブの無間地獄に引きずりこまれるぞ!
考えるな、考えるな、未来のことなんて、考えるな。
今だ、今。
今のことだけ、考えるんだ。
今できること、今やること、それだけに意識を集中するんだ。
しかし、ふとしたときに死神は僕の背後にやってきて、恐怖で心をわしづかみにするのだった。
2016年の大晦日がやってきた。
まだ、生きている。
体力が落ちているので、大掃除は子どもたちに任せて、僕は昔撮った写真データの整理を始めた。
2002年から2003年までの家族の写真でいいものを選んでスライドショーができるように並べ直した。
今は大学生で男っぽくなった2人の子どもたちも、まだ小さくあどけない表情で無邪気に笑っていた。
僕も妻も若い。
うん、本当に楽しかった。
幸せだった。
面白かった。
いっぱい笑った。
いっぱい喜んだ。
豊かな人生、本当にいい人生だった。
後悔するとしたら、もっと妻を愛せたはず。
もっと、もっと、もっと、たくさんたくさん妻を愛せたはず。
写真の中で笑っている妻の顔を見ていると、涙が出た。
本当にありがとう、僕と一緒に生きてくれて。本当にありがとう、
僕と一緒に時間を過ごしてくれて。
本当に、本当に、ありがとう。