<この体験記を書いた人>
ペンネーム:みぃや
性別:女
年齢:47
プロフィール:一人娘として育つ。高校卒業後実家を離れ、独り暮らし。24で結婚するも離婚。現在独身。
母は今年で74歳、父は73歳になります。
私は47歳で、一人娘です。
母はどうしても私に兄弟を作りたかったようで、二人目の妊娠を試みていたようですが叶わず、養子をもらおうと考えたこともあるようです。
一人娘ということもあり、さぞかし甘やかされて育ったと思う方もたくさんいるのですが、私の生活は決して甘い生活ではありませんでした。
欲しいものもろくに欲しいと言えない生育環境でした。
あるとき、友達に遊ぼうと声をかけたところ、あなたのうちにはおもちゃやゲームがないから行かないと断られたこともありました。
ボードゲームが欲しいと母にねだったものの、「兄弟もいないのに一人でどうやって遊ぶの?」と、けんもほろろ。
見かねたのか、父がビール瓶の栓とサイダーの栓をくっつけて、厚いベニヤ板になぜか一列足りないオセロもどきを作ってくれたのですが、遊び道具とは言えませんでした。
それでも、両親はオセロ一つ買ってはくれなかったのです。
兄弟がいないせいか、人との距離を詰めることができず、いじめられていた時期もあります。
でも、私は先生にはもとより、両親にも一切相談することができませんでした。
私は両親に褒められた記憶がありません。
何かすれば必ず怒られてきたから。
いじめられてるなんて言おうものなら、いじめられるほうが悪いと怒られると思ったのです。
両親に気に入られることをしようと考えたこともありました。
それがクロスカントリースキーです。
小学校のころはクロスカントリースキーの細くてしなやかな板に憧れたものです。
ただ、やらせてもらうことはできたのですが、それはとんでもない罠でした。
どんなに私が嫌だと思っても、行きたくないと思っても、練習や大会には必ず連れていかれました。
悪いことに成績もよかったので、何を血迷ったのか父が「俺はお前を国体選手にするのが夢なんだ」と宣言。
中学校にはスキー部がなかったのでそこから先はエスカレートしませんでしたが、今度は陸上部に入るよう強要。
運悪く、体育祭で陸上部の子とは知らずに、400mで接戦を繰り広げた後で、陸上部からのスカウトで入部することになりました。
ところが、途中入部の私に先輩たちがいい顔するわけもなく、何の前触れもなく玄関で袋叩きにあったこともあります。
このことも、両親には話していません。
たまたま通りがかった先生が見つけてくれて、それ以上ひどい目には合いませんでしたが、なんで私ばっかりこんな目に合うんだろう。
いつも疑問に思っていました。
当然両親を好きになれるはずもなく、私は大学進学を機に地元を出て、車で2時間半離れた札幌に出てきました。
両親の束縛がない生活は幸せでしたが、タガが外れたように私は自堕落になり、大学も中退しました。
それでも、自立をしたかったのでアルバイトなどをしながら頑張ってきました。
24歳になる年に授かり婚で、結婚。
最初はいい顔をしなかった両親でしたが、孫の顔を見せて、一時は見えない壁もなくなったかのようでした。
しかし10年ほどで離婚後、私の生活状況は悪化し、お金に困るようになりました。
そして、ついにマンションの家賃を滞納する事態に。
私は、連帯保証人である母親に迷惑が掛かってはいけないと思い、家賃を遅れて払うから、何か連絡が行くかもしれないという連絡を入れました。
すると、母が「連帯保証人なんか抜いてや!」と怒りの一言。
お金の無心をしているわけでもないのに、グチグチと怒られ、挙句に「知らないからね」と、電話をガチャ切りされました。
もう、あの人たちは私の親とは思えません。
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