アメブロで「~こんな事を言っちゃあなんですが!~」を運営しているかづと申します。
現在は夫婦二人と3ニャンとで暮らしています。
今から36年以上前の、結婚当初のことを思い出しながら書いています。
前回の記事:「いちいち閉めんと早よ脱げ!」姑に着替えを晒され続ける悪夢の試着室
七五三が終わり写真が出来上がって来たが、どの写真を見ても姑から浴びせられた言葉の数々が浮かんできて、何一つうれしさも楽しさも感じなかった。
本来なら息子の晴れ姿なのだから、着物がどうであれ成長を祝って喜ばなければならないのだろうが、どの写真にも写っている姑を見るたびに悲しい思いの方が先に立つ。
親子3人で写したくても舅姑はカメラを代わると言う事はせず、写真は夫と私が交代で写した。
そして必ずどの写真にも息子の隣で写っている姑。
姑の中での私は孫を産んだ「だけ」の存在であり、家政婦と言う認識でしか無かったのだ。
それも姑にしてみれば「息子をたぶらかして妊娠を盾に結婚を迫ったあばずれ」で、親からして婚家の金を当てにして娘の結婚を認めたと思っているくらいだから、存在からして憎かったんだろう。
出来上がった七五三の写真を週末に舅姑に持って行った。
姑は孫が来ている着物の思い出をとうとうと語り、自分が如何に上手に保存していたか、今の金額に換算したら数十万円相当になる反物だったとか、周りに写る同じ七五三参りの子供達が着ている着物より如何に自分が作った着物の方が上等かを延々と話していた。
この人は孫可愛さよりも自分への評価の方が大事なのだろう。
姑が結婚した時には既に舅の母親は亡くなっていて、姑自身は『嫁』として舅姑に仕える事をしていない。
ましてや舅の兄弟妹達に対してもその連れ合い達に対しても『嫁』と言う立場としての対応をしていなかった。
『嫁として当たり前』と言う意味で自分がされて来た、また自分がしてきた『嫁』としての事を引き合いに出して私をいびっているのではなく、単純に自分の望んだ家柄であったり学歴であったり理想の容姿の『嫁』では無かった事を 「これが我が息子の嫁?」 と、本当に恥ずかしいと思っていたのだ。
私の横で孫(息子)を抱きながら、
「お婆ちゃんの所で住んじゃうか? もうお母さんは要らんやろ? お母さんの代わりなんてお婆ちゃんで十分やからお母さんなんかおらんでええなぁ」
としょっちゅう言う。
食事の時間直前に孫を呼び、冷蔵庫の中のケーキや果物やアイスを見せては、
「ご飯が終わらんとあかんわぁ」
と言い、当然今食べたいと言い出す孫に、
「1日の摂取カロリーは○○カロリーやからご飯茶碗1杯150カロリーを生クリームとアイスで摂ったと思ったらご飯食べられんでもかまへんか♪」と言って与えてしまう。
ご飯が先だと子供に言い聞かせようとしても横から姑が、
「一度見てしもたのにあげへんのは子供が可哀想やろ!」
と私を怒鳴る。
見せたのはお前だろうが!
買い物に行かされている間に、姑がアイスクリームとイチゴを1パックを息子に与えたことがある。
「この子が食べたいって言うから出したら全部食べてしもた!私は悪ないで!全部食べるなんて思ってないから~」
と姑は悪びれず、その夕方から息子は水の様な下痢になった。
病院に連れて行こうとすると夫と姑は
夫「下痢やったらその内止まるやろ?」
姑「男の子はもともとお腹が弱い! うちの息子もしょっちゅう下痢してたから男の子がお腹を壊すのは普通!」
と言って行かせて貰えない。
子供自身は元気で遊んでいるが、それでも水の様な下痢がパンツやズボンから染み出て来るほどだったので、病院に連れて行きたいとお願いした。
今でこそ近所に数件医院が出来たが、当時姑宅からはバスで10分ほど行かねば病院は無く、そのバスも1時間に1本だった。
姑にしてみれば、孫が病院に行けば診察の際に食べた物を告げ口されると思ったのだろう。
また夫にしてみれば、バス代の数百円と受診料がもったいなく、かと言って自分が車を運転して連れて行くのもめんどくさかったのだろう。
姑と夫はただただ 「こんなもん大した事無いやろ! 大袈裟な!」 と言い続けた。
この一件から、姑が勝手に息子に食べさせる事はあっても「大量に」という事は無くなった。
続く
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