<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ののか
性別:女
年齢:52
プロフィール:最近運動不足解消のためウォーキング始めました。
今はもうやめてしまったのですが、7年ほど前まで実家で「ピアノのレッスン教室」を開いていました。
生徒の数が減少したため教室は終了。
でも多い時は週に一度、16時~20時くらいまで教えていました。
我が家の3人の子どもたちはまだ小さく、車で全員を連れて行き、レッスン中は母が面倒を見てくれていました。
母は当然のように子どもたちに夕飯を食べさせてくれて、帰りに私と夫が食べる分も持たせてくれました。
そして、野菜や卵、肉にお惣菜まで、1週間では食べきれないくらいの食料品も持たせてくれたんです。
共働きだった私が「平日すぐに食卓を整えられるよう」「旦那様を待たせないよう」と、昭和ひとけた生まれの母は、私のために色々考えてくれていたようです。
でも、その頃の私は感謝するどころか「これはいらない」「これはまだある」と選り好みをしていました。
また、私が「美味しかった」と言ったものを覚えていて、また作ってくれたお惣菜を「またこれ〜」と文句を言っていたんです。
何を言っても許してくれる安心感があり、母の愛情に甘えていたのだと思います。
でも、そんな「実家でのレッスンの日々」は、最後の生徒がやめたことで終了しました。
その頃、子育てと他の仕事とのバランスで、車で1時間近くかけて実家まで行くことに少し疲れていた私は、「もう週に1度レッスンのため実家に行かなくていいんだ」と思ってホッとしたのを覚えています。
仕事がなくなると、実家への足も遠ざかり、月に1度も顔を見せなくなりました。
子どもが大きくなり、クラブや塾のため実家に一緒に行かなくなってきたのも理由の一つです。
そんなある日、ふと思い立って実家へ行った時のこと。
他愛ない会話のあとに「そう言えばあの頃、卵を必ず持たせてくれたよねえ」と私が言うと、母は「昔は卵が高かったからねえ」とポツリポツリと話してくれました。
病気になった時しか食べさせてもらえなかった卵、それが今はこんなに安く手に入るので常備しておきたいと思い、砂糖と共に必ずストックしていて、娘にも持たせたかったのだと言います。
それなのに私は「卵、こんなに使わない」「砂糖そんなに使わない」と母の気も知らずに贅沢なことばかり言っていたことに、改めて気づきました。
あれからずいぶん年をとった母は、もう私に「持って帰れ」と色々なものを用意してはくれなくなりました。
――次は私が母の好きそうなものを持って来よう。
母の横顔を見ながら、ふと、そんなことを考えました。
あの頃の母の味を再現したお惣菜を作ってみよう。
母は「美味しい」と食べてくれるだろうか。
「こんなにたくさん食べられないよ」と言われるだろうか。
......そんなことを考えたのでした。
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