20代で結婚して、2男1女を授かり、主婦として暮らしてきた中道あんさん。でも50代になると、夫との別居、女性としての身体の変化、母の介護...と、立て続けに「人生の転機」が訪れます。そんな激動の中で中道さんが見つけた「50代からの人生を前向きに過ごすためのヒント」をご紹介。今回は「母という存在の呼び名」についてです。
前回の記事:「人生の後半こそ充実した生活を送って欲しい」母の姿から思うこと
先日、母を連れて眼科に行きました。
壁にかけてある絵や、ナースコールのボタンなどが体を動かした拍子にぐーーんと伸びて見えるというのです。じっとしていればそんなことはないというのですが、念のために病院へ。
車いすの母は狭い眼科医院の受付ではなにかと目立つ存在です。そして他の患者さんへの配慮からか事務員さんに別の場所へと移動を促されました。
「お婆ちゃん、移動するで。手は膝に」と言うと、「えっ?お孫さん?」と事務員さんに聞かれました。
「いやいやどう見ても違うでしょ」と内心思いつつ、「いえ、娘です」と言うと、まじまじと顔を眺められて「娘さんやんね。お婆ちゃんて言うから」と。「ははっ。もう、お婆ちゃんなんで」とその場を取り繕いました。
この人の常識では、親は年齢に関係なく、お母さんと呼ぶんだろうな──。
呼び名って大事なことでしょうか?
小さい頃から、「あなたは長女なんだから」「お姉さんだから」といわれ、いいこともありましたが、それが嫌で嫌で。なぜにその呼び名で人を縛り付けるのだろうか?ただ、単純に先に生まれただけではないか?と。子供ごころに大変不満をもっていました。
なので、自分が親になり、長男が2歳になる前に次男が誕生した時も、「ほら、弟だよ」とも、「お兄ちゃんになったからね」とも言わなかった気がします。次男が言葉を話すようになったとき、兄である長男の名は呼び捨てでした。
それを聞いていた母には「お兄ちゃんと呼ばせるように」と何度も忠告されました。「教育がなってない」「兄を立てて育てていない」などうるさかったです。ですが、いつも「彼はお兄ちゃんではなく、名前がある」と突っぱねていました。
呼び方は関係なく兄弟は仲良しでした。喧嘩をすることはありましたが、可愛いものでした。
私は、娘からは「ママ」と呼ばれていますが、息子達からは「あんさん」です。
長男が中学1年生になった時、それまで呼んでいた「ママ」が恥ずかしいと、呼び名を変える宣言をされました。
きっと「おかん」になると思っていたのに、「あんさん」。
大阪の方言で「あんさん」は「あなた」の丁寧な言い方とされています。
笑えるような、誰もがピンとこない呼び名を、PTAが集まる学校でも、友だちの前でも「おーい、あんさん」と気軽に呼ぶ長男。
同じように次男も中学入学と同時に呼び名を変える宣言。
しかし妥当なものが見つからず、仕方なしか「俺も、あんさんでいくわ」と言われた時に、同じでよかったと安心しました。子供3人から各々ちがう呼び名で呼ばれたら体が分裂しそうですもの。
子供から「あんさん」と呼ばれる母親は全国でも私くらいなものかもしれません。
「なぜ姉ちゃんはお母ちゃんのことを婆さんと呼ぶのか?」と妹に聞かれたことがあります。
私が母のことを「婆さん」と呼び、人様の前では「お婆ちゃん」と呼ぶのには、それなりの理由があります。
「母」だと思うと眼科の付き添いだって御免被りたい気持ちだけれど、一人の老人なら付き添える。この気持ちのニュアンスは私にしか分からないこと。
他人の普通は自分の異常。その逆もしかり。
呼び名はただただプレートでしかないけれど、意味あるものでもあるのです。
アラフィフの皆さん、必読です! 中道あんさんの記事リストはこちら
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。