母からヒステリックに「あなたのため」と言われ続けたある日、私の中の何かがプツンと切れて...

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ワンだふる
性別:女
年齢:42
プロフィール:わけあって最近長年勤めた会社を辞めて、念願の専業主婦になりました。

母からヒステリックに「あなたのため」と言われ続けたある日、私の中の何かがプツンと切れて... 33.jpg

幼少期の私は親の言うことをよく聞く、いわゆる育てやすいいい子だったと思います。

対して兄は自由奔放でやんちゃ、なんでも好き勝手して学校でも家でもよく怒られていました。

反面教師で私は親の地雷を踏むようなことはせず、言われたことは守り、要領よくしていたのでしょう。

怒られることはあまりなかったと記憶しています。

ただ、今考えると自分の意見を言う前に母が勝手に決める、何か言うと否定されることが多く、この頃は自分を押し殺していたように思います。

学生時代は、何かとよく母と衝突していました。

ささいなことですが、食事の手伝いをしていると必ずあったやり取りが思いだされます。

お皿を準備する際、煮物だからこの大きさと深さかな、と思って出すと、「違う。煮物はこれでしょ、何を考えているの? ◯才にもなって何も分からないのね」などと否定され、分からないなら聞きなさいと叱責されます。

また別の日に、どのお椀がいいのか迷って、「どれ出す?」と聞くと自分で考えて出しなさいと言われます。

この言い方がまた人格否定するような嫌味な言い方をするのです。

「茶碗の準備もできないような人が大学に行って勉強してどうするの? 何の役にも立たない」など。

もう何もかもやる気が失せるような言い方です。

そして、スイッチが入ると過去のことを蒸し返して説教が始まります。

父は寡黙でしたが私とは話をするし、怒られることも口喧嘩もなくいい関係でした。

母のことは大好きでしたが、言い合いが始まると平行線で譲らず、責めたてられ自分だけが悪いのかとモヤモヤすることが多かったのです。

就職して結婚、こどもも産まれ、母のサポートありきで仕事を続けていました。

しかし会社も色々あり、仕事を辞めたいと悩んでいたときのことです。

母に相談したところ、「仕事を続けられるよう、あなたのためにこんなに手伝ってきたのに!」と想像していなかったほどヒステリックに嘆かれました。

そのころは「母が重い」「毒親」などの言葉を知るようになり、もしかして自分の母親もそうではないかと記事を読み漁っていた時期でした。

「あなたのため」というワードが、まさに我が子をコントロールしたい親が自分の考えを押し付け、自分を正当化するために使う言葉だと知ったばかりです。

ヒステリックに叫んだ母の横で私は冷静に、(あ、それ言っちゃうんだ。やっぱりそうだったんだ)と思いました。

プチンと何か私の中ではじけました。

このままでは何もかも母の言う通りに動く人生になってしまう。もう相談はしない。必要がある時だけ連絡を取ろうと、物理的にも心理的にも距離を置くことを決めました。

仕事を続ける=母のサポート(来訪)が続くので、まずは、仕事を辞めるまでの段取りです。

すぐには辞められなかったので、仕事を減らし自宅に来てもらう時間を減らすことからはじめました。

そして、辞める際はもう相談はしませんでした。

私の家族は夫と子供たち。

母の意見を取り入れて縛られる必要はありません。

また、もともと実家の近所で家を買う予定でしたが、会う頻度が高いと何かと衝突するので、少し距離のあるところに家を決め「なるべく会わない」という選択をとりました。

自分の未来は自分で決める。家族のことは家族で決めるのです。

色々と吹っ切れて、母と距離を置いた今、自由をひしひしと感じています。

母が自分がなりたかったワーキングマザーを押し付けられることもありません。

専業主婦としてこども達と過ごす時間をたくさん取れて幸せです。

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