<この体験記を書いた人>
ペンネーム:風花
性別:女
年齢:54
プロフィール:ペットロスからなかなか立ち直れません。時間が解決してくれるのを待つしかないですね。
今年の1月に長年一緒に暮らしてきた愛犬が亡くなりました。半年が過ぎて愛犬の存在が大きかったことを改めて感じています。
愛犬は「ぐり」という名前のケアンテリアです。わが家は夫婦二人、子どもなしでこのぐりが結婚当初から一緒でした。出かけるときの基準は犬と一緒に泊まれるか、犬と歩いて楽しめるか。明るくて、時々とぼけてて、いつも私たちを笑わせてくれる存在だったぐり。二人と一匹で、うちは家族だったのです。
いなくなってわかったのが、愛犬が私たち夫婦の緩衝材になっていたのだということ。
ぐりがいるときはなにか相手に言いたいことや不満があると「ねえ、ぐりちゃん、ママがこんなこと言ってるよ、へんだね~」とか、「ぐり、パパはなんにもしないねぇ」などなど、なにかにつけてぐりをはさんで会話していました。お互いに腹の立つことがあっても、ぐりをはさむことでいつのまにか笑いに変わっていたのです。ほんとうに子どものような存在で、「子はかすがい」ならぬ「ペットはかすがい」でした。
ぐりがいなくなってからはお互い直接感情をぶつけるようになり、これまで1度もしたことのない大声での言い争いが増えました。まるで憎んでいるかのような言い方をしてしまったこともあります。自分でもどうしてここまで言ってしまったんだろうと思うこともしばしばです。
これまで夫と私は似たもの同士なのだと思っていましたが、愛犬の死で私たちは全く別の人間だったと思い知らされることが続きました。私が重要と思っていることを夫は大したことではないと思っていたり、その逆も度々痛感したのです。愛犬が亡くなった悲しみも私と夫では悲しさを感じる場面が違いました。お互いがお互いに対して、(えっ、ここで泣く??)と思い、それがお互いへの不満につながっていきました。
友人にそのことを話すと、「仕方ないよ、多分今はまだペットロスの最中で、お互い心がささくれだっているんだよ」と言われました。そうなのかもしれないなと思いました。ぐりが生きていたときには、同じことを言われてもお互いに腹も立たなかったのですから。
そんな先日、私の誕生日に夫から花束をもらいました。メッセージには「今年は思い出をめぐる旅をしようね」とありました。ぐりと旅したところを二人でめぐろうと言ってくれたのです。やはり私達にはぐりの存在が必要なんだなと、亡くなってもなお我々を仲裁してくれるぐりに感謝しました。そして、二人がけんかしてばかりいると天国のぐりが心配して落ち着かないよなぁと思いながら、これからはお互いの違いを認めて二人の生活を楽しくしていかなければと決意しました。
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