父が今、唯一大事にしたい場所――そこは、亡くなった母が父に残してくれたものだった

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ひまわり
性別:女
年齢:44
プロフィール:母が亡くなり2年半。そろそろ父にも元気になって欲しいと思っているのですが......。

父が今、唯一大事にしたい場所――そこは、亡くなった母が父に残してくれたものだった 16.jpg

2年半前、母が亡くなりました。母の病気発覚から3年9カ月、献身的に母を支え続けた父にとって、母を失ったことは大きすぎました。父は母が大好きでした。

母が亡くなって1年目は、父の前で母のことを話すと父がすぐに泣いてしまうから、母の思い出に浸ることすらできませんでした。父にしたら、母がいない残りの人生なんて、悲しみしかないのでしょう。

父は昔から歴史が好きで、よく本を読み、大河ドラマを好んで見ていましたが、母の病気が発覚してから現在も本を読む気になれない、ドラマを見る気になれないと言っています。特にこれといった楽しみもなく、お酒も飲まず、タバコだけは吸っている......という状態です。私が実家に帰るときは父と2人で外食するようにしているのですが、たわいのない会話をしていても父は口を開けば「お父さん、そんな長生きできない」「いつ死ぬかわからないで」ばかり。そして、死んだらああしろ、こうしろというのが口癖のようになっています。このようにネガティブな発言ばかりの父を見ていると、何か楽しみを見つけてくれないかな?と思うのですが、当の本人はそんな気もなさそう。ただ、一日一日重ねていくだけの日々で、娘としては心配になります。

これが父と母、逆の立場だったら、母は父の死後も何か見つけ、それなりに人生を歩んだと思うのです。ですが、父はなかなかそうはいきません。でも、そんな父に母が唯一残してくれたものがあります。

父は12年前に警察を定年退職した後、警察OBとしての道を選択しませんでした。当時、母が手伝いをしていた親戚のお店を出入りする材木屋の社長と母が親しくなり、ちょうど社長が人を探していたので父を紹介、そこで父は仕事をするようになったのです。母は社交的で、母の周りには自然と人が集まりました。父はそんな母を尊敬していました。そんな母の紹介というものもあってか、父は母の顔を潰さないよう、信頼を損なわないよう、まじめに丁寧に今も仕事をしています。朝は今でも5時過ぎに家を出て、お昼過ぎには帰ってきますが、まじめにそんな日々を繰り返す父を心から尊敬します。ある時父のパソコンを見てみると、きちんと仕事が整理されていて、安心しました。父の前任者が85歳まで勤めていたので、可能な限り仕事してほしいというのが社長の意向。今も、これから先もできる限りお世話になっていきたいと思っているそうです。

趣味こそない父ですが、母の縁で始まった仕事が唯一気を紛らわしてくれているのかもしれません。母の顔に泥を塗ってはいけないという気持ちが、父のモチベーションになっているのでしょう。当時はこうなることを想像していませんでしたが、結果的に母が父の居場所を準備してくれたのかもと思っています。大好きで尊敬する母の縁から始まった仕事も12年目、父が今、唯一大事にしたいことなのかもしれません。

関連記事:定年後はどんな生き方が理想?やりがいのために働き続ける人が増加中

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP