モラハラDV夫との結婚生活、そして夫から逃げるまでを綴ってきましたが、夫の元から逃げて、はい、終了ではなく、その後現在に至るまでは乗り越えなければならない壁がたくさんありました。
モラハラDV夫から逃げたその後の生活、7年間の出来事を書いていきたいと思います。
【前回】「お金はなんとかなる、逃げる勇気を持って」DV夫から逃げ、54歳で全てを手放して/chii
【最初から読む】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii
モラハラDV夫から逃げるために、一時避難所として借りたワンルームでしたが、そこで2、3日過ごすともう帰りたくなくなってしまいました。
いつ怒り出すか、いつ追い出されるかわからない恐怖の日々から解放されたのです。
「ここで、頑張ろう」 息子も同じ気持ちだったようです。
ワンルームではよくあるタイプのキッチンで、小さな洗い場とコンロは1つ、まな板の置き場所もなかったけれど、そこでなんとか自炊を始めました。
6畳の部屋で、2人でご飯を食べて、シャワーを浴びた後は、私はロフトに上がります。
ロフトが4畳くらいあったので、そこが私の部屋のようなものでした。
2人で暮らしていく覚悟を決めたので、私はパートの時間を増やし、夜は知人に教えてもらったWEBライターの仕事をしていました。
4畳のロフトには、布団が引きっぱなしで、端の方に小さな机を置き、そこでパソコンで仕事をするというような毎日でした。
息子は、6畳の部屋でゲームをしたり、テレビを見たり、勉強も少しはしていたようです。
困ったのは、寝る時間が違うことです。
仕事で疲れて早く寝たい時、息子はゲラゲラ笑いながらテレビを見ていたり、宿題に追われていたこともあったので、気をつかいました。
「もう電気消してくれない?」
「もう寝ようよ」
そんな言葉をかけあっていたけれど、少しずつストレスが溜まっていき、喧嘩になることもたびたびありました。
私はイライラした時、「もうお父さんの所へ帰れば? あっちの方が自分の部屋あるし~」なんてことも言ってしまいました。
いつも息子は悲しそうな顔をして「帰りたくないよ」と答えていました。
自分の休日に、息子が部屋にいる時は、なるべく外出するようにしていたのですが、息子も私がゆっくりできるようにと1日中でかけてくれることもありました。
もう1つ困ったのは、着替える時です。
子どもといえども、16歳という年頃の男子の前で、着替えるのはさすがに気が引けます。
息子も同じだったと思います。
お互いに気をつかいながらの毎日でしたが、あの頃は楽しかったと、一人暮らしになった今思います。
モラハラDV夫と暮らしていたころに比べれば、暴力におびえることもなく平安な日々だったのですが、人間とは勝手なものです。
今度は1人になる空間が欲しいと思うようになりました。
16歳の男子高校生とワンルーム暮らしは、さすがにきつい、2DKに引っ越したくなったのです。
それで、県営住宅と市営住宅の存在を知り、申し込んでみることにしました。
現在、大人気の団地暮らしです。
古くても、不便な場所でも、部屋が2つある団地に引っ越せたらいいなと、ワクワクしながら応募したのだけど。
すぐに応募した書類が送り返されてきました。
中を見て、ガックリです、母子家庭だから優遇されるかと思っていたのに、優遇されるどころか、申し込みさえできないことがわかったのです。
私と夫は別居中で、離婚が成立していません。
別居中の母子は申し込みができないのです。
離婚したという事実がないと申し込みさえできないとは、ショックでした。
仕方ないので、公立住宅に住むことはあきらめて、引っ越すためにお金を貯めようと決めました。
息子も、高校1年生だったので、少ししてからアルバイトを始めました。
一番お金になるだろうからと始めたのが、引っ越しのアルバイトです。
公立高校に入学したとはいえ、部活動費、教材費、旅行積立金など、想像していた以上にお金がかかりました。
貧しい母子家庭で、息子はお小遣いを要求することもなく、自分のものは自分で稼ぐと言ってくれたのです。
でも、人生初の引っ越しのアルバイトを経験して息子はボロボロになって帰ってきました。
今でも、心の傷になっているかもしれないです。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。