毎日が発見ネットで、連載を始めて1年がたちました。
モラハラDV夫との結婚生活、そして夫から逃げるまでを綴ってきましたが、夫の元から逃げて、はい、終了ではなく、その後現在に至るまでは乗り越えなければならない壁がたくさんありました。
今後は、モラハラDV夫から逃げたその後の生活、7年間の出来事を綴っていきたいと思います。
【前回】人付き合いを制限され、世間から隔離されて生きてきた娘と息子。大人になった今は.../chii
【最初から読む】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii
今、一番感じているのは、54歳ですべてを手放したから今があるということ。
どんなに辛い結婚生活でも、過去を手放すのは大変な決断が必要でした。
54歳で、家を出た私は、その時に新しく生まれ変わったんだと、今やっと思うことができています。
私は今、家賃4万円のワンルームマンションで1人で暮らしていますが、最近部屋の中を見渡してみると、ほとんどの物が新しくそろえたものでした。
家を出るきっかけになった児童相談所の女性の言葉を思い出します。
「お金はなんとかなる、逃げる勇気を持って」
という言葉です。
当時は家を出るために、こっそり貯めていた15万円ほどのお金しかなく、何も考えずにそのお金でアパートを契約したのです。
そして、少しづつ必要な物を買いそろえていく、そんな生活でした。
まず、オークションで中古のテレビと冷蔵庫を買ったのですが、そのテレビは今も健在で、冷蔵庫は3年ほどで手放しました。
最初に息子と2人で暮らし始めたのは、ワンルームのアパートで、ロフトがあったからよいものの、年頃の男の子との暮らしは大変でした。
モラハラDV夫が、押しかけてきたこともあったし、高校生の息子と取っ組み合いの喧嘩をしたこともありました。
まだ50代だから、対処できたのかもしれないです。
60代になってからでは、絶対無理だったと思います。
61歳の私が、この7年間で手放してきたのは、23年間の結婚生活、そして、息子と離れること。
2つの大きなものを手放すということは痛みが伴いました。
別居直後は、本当に何度ももう家に戻ろうと考えました。
あのボロい大きな家で暮らせば、家賃もかからないし、息子には自分の部屋もある。
息子にとってはその方がいいのかも、私が我慢すればいいのだなんて思ったものです。
それほど母子家庭の暮らしは不安であふれていたのです。
その後、仕事の時間を増やしたり、副業を始めて収入は増えていき生活はなんとかなっていきました。
息子が高校生になってアルバイトをして家計を助けてくれたのも大きいと思います。
モラハラDV夫と家庭生活でも、家を出てからの母子家庭の生活でも、私はいつも息子に頼ってばかりでした。
お互いが助けあい支えあっていたので、息子から離れることなど到底考えられませんでした。
「お母さんを捨てないで」、よくそんな言葉をかけていたと思います。
私は共依存体質だったのかもしれないです。
夫と共依存から、息子と共依存へ、1人で生きていけないって思いこんでいたのです。
大学生になった息子は、東京の大学に通うのが大変になり、疲れ切っていたのが見てわかりました。
コロナ禍となってからは、自宅にひきこもるようになっていった息子です。
「お母さんから離れないと俺はダメになる」発言があり、私は少しづつ受け入れていくしかなかったのです。
たくさん泣きました。
でも、エイっとひとり暮らしをスタートしてみたら、こんな快適なことはないとさえ思うようになりました。
それこそ最初は食事作りにとまどったり、寂しいと感じたこともあったけれど、今はひとり暮らしが最高に楽しい。
人はみんな最後は1人になります。
配偶者がいても、子どもがいても、いつかは離れなくてはならない日が来ます。
1人になるのが、遅ければ遅いほど、孤独を感じたかもしれないです。
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