「この人は私がいないと生きていけないから...」私がはまった「共依存婚」の悲しい結末/chii

私はモラハラDV夫との結婚生活においても、自分が共依存性質であることに気が付いていました。

結婚前、夫のかわいそうな生い立ちを聞いて、同情してしまった自分がいました。

【前回】年金も保険も未加入だった「DV夫」の顛末。別居後も泣き言の電話がかかってきて...

「この人は私がいないと生きていけないから...」私がはまった「共依存婚」の悲しい結末/chii pixta_93796560_S.jpg

夫は、機能不全家族の中で育ってきたのでした。

両親は再婚、父親違いの兄は2人いて、人生を踏み外して生きているような人たちだったのです。

その義理の兄たちには、いろいろと苦しめられ、婚期がおくれたのもそのせいだと話していました。

母親は、夫が27歳の時に他界し、父親と二人で苦労しながら生きてきたと聞きました。

時には涙を流しながら話す夫を見て、なんてかわいそうな人だと思ってしまった私です。

結果的に、その涙に騙されたことになるのですが、私はこのかわいそうな人を、なんとかしてあげよう、支えてあげようと結婚を決めたのです。

その後、新婚旅行先のハワイで、モラハラ夫の本性を見てしまったのです。

【関連】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii

モラハラもDVもあった夫と、別居して丸8年たちました。

家を出る時、罪悪感が私を苦しめました。

夫を捨てていいのか?この人私がいないと生きていけないかも、そんな罪悪感です。

結局は、夫と共依存していたのだと思います。

夫の言いなりになることで、自分を保っていたのかもしれないです。

なぜ?共依存体質になってしまったのか、考えたことがあります。

「自己肯定感が低く、自分の存在価値を感じることができず、他人から感謝されたり、他人に頼られたりすることで、自分が生きていてもいいという理由を得る」

モラハラ特集記事に書いてあった言葉ですが、これだ!って思いました。

私は兄がいて妹がいて、中間子として育ってきたのですが、自分はいらない人間では?と何度も思った記憶があります。

思春期には、友人関係で深い心の傷をおい、ますます自分に自信がなくなり、自己肯定感が低いまま大人になってしまった気がします。

それでも独身時代は、旅行したり、飲み歩いたり、一人暮らしをしたりと楽しく生きていました。

23歳の時に、大失恋をし、その後は、誰にも心を開けずにいたのですが、31歳の時に夫と焦り婚をしてしまいました。

同情婚ともいえます。

この人には私が必要なんだと思う以上に、妊娠中に暴力を受けるなど、つらい結婚生活になってしまったのです。

夫との共依存から抜け出し、息子と家を出た私ですが、今度は親子共依存に移行していきました。

息子の世話を焼くことで自分を見出していたのです。

それが、どれだけ息子の自立を阻み、苦しめていたかは、後になってわかりました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

chii

モラハラDV夫の家を飛び出し、7年目のchiiと申します。離婚には応じてもらえずに、現在も熟年別居中です。つい最近、共に暮らしていた大学生の息子が自立をして一人暮らしになりました。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、現在の一人の時間に幸せを感じています。別居直後から書き出した「60代小さく暮らす」お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」を書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP