私はモラハラDV夫との結婚生活においても、自分が共依存性質であることに気が付いていました。
結婚前、夫のかわいそうな生い立ちを聞いて、同情してしまった自分がいました。
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夫は、機能不全家族の中で育ってきたのでした。
両親は再婚、父親違いの兄は2人いて、人生を踏み外して生きているような人たちだったのです。
その義理の兄たちには、いろいろと苦しめられ、婚期がおくれたのもそのせいだと話していました。
母親は、夫が27歳の時に他界し、父親と二人で苦労しながら生きてきたと聞きました。
時には涙を流しながら話す夫を見て、なんてかわいそうな人だと思ってしまった私です。
結果的に、その涙に騙されたことになるのですが、私はこのかわいそうな人を、なんとかしてあげよう、支えてあげようと結婚を決めたのです。
その後、新婚旅行先のハワイで、モラハラ夫の本性を見てしまったのです。
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モラハラもDVもあった夫と、別居して丸8年たちました。
家を出る時、罪悪感が私を苦しめました。
夫を捨てていいのか?この人私がいないと生きていけないかも、そんな罪悪感です。
結局は、夫と共依存していたのだと思います。
夫の言いなりになることで、自分を保っていたのかもしれないです。
なぜ?共依存体質になってしまったのか、考えたことがあります。
「自己肯定感が低く、自分の存在価値を感じることができず、他人から感謝されたり、他人に頼られたりすることで、自分が生きていてもいいという理由を得る」
モラハラ特集記事に書いてあった言葉ですが、これだ!って思いました。
私は兄がいて妹がいて、中間子として育ってきたのですが、自分はいらない人間では?と何度も思った記憶があります。
思春期には、友人関係で深い心の傷をおい、ますます自分に自信がなくなり、自己肯定感が低いまま大人になってしまった気がします。
それでも独身時代は、旅行したり、飲み歩いたり、一人暮らしをしたりと楽しく生きていました。
23歳の時に、大失恋をし、その後は、誰にも心を開けずにいたのですが、31歳の時に夫と焦り婚をしてしまいました。
同情婚ともいえます。
この人には私が必要なんだと思う以上に、妊娠中に暴力を受けるなど、つらい結婚生活になってしまったのです。
夫との共依存から抜け出し、息子と家を出た私ですが、今度は親子共依存に移行していきました。
息子の世話を焼くことで自分を見出していたのです。
それが、どれだけ息子の自立を阻み、苦しめていたかは、後になってわかりました。
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