20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として暮らしてきた中道あんさん。でも50代になると、夫との別居、女性としての身体の変化、母の介護...と、立て続けに「人生の転機」が訪れます。そんな激動の中で見つけた「50代からの人生を前向きに過ごすためのヒント」。
ひとり暮らしをする娘さんについ心配が募ってしまう、中道あんさん。友人たち集まったとき、「いつ子離れしたのか?」という話題になり...。
【前回】 「やりたいことを先延ばしにしない」コロナ禍で得た教訓をもとに60歳記念旅行へ!
去年末あたりからひとり暮らしの娘の体調が芳しくなく、離れて暮らしているので心配していました。
といっても娘は26歳。もういい大人です。
私は自分のことは自分で解決してきたので、「娘にできないわけがない、何とかするはず」と思いつつも「私にできることはないかしら?」とも考えてしまします。
そもそも親は子どもを「守ってあげたい」と思うもの。
だからある意味、その感情は当たり前だと感じています。
なので、大人となった娘に対し余計なアドバイスをしないよう、グッと堪えてるのが大変でした。
いつしか、娘は親の心配をよそに体調が戻ったようです。
一時は帰省した方がいいとさえ思っていたほどで、あの心配はなんだったのか...。
親の心子知らずとはまさにこのこと。
娘は私が人知れず心配し、我慢していたことに気付いていないことでしょう。
先日、友人たちと子離れについて話す機会があり、「いつ子離れしたのか?」という話になりました。
その中のひとりが「息子が10歳の時よ」と言うではありませんか。
生まれてまだ10年しかたっていないそんな頃に、と驚きました。
彼女の子離れのきっかけは、息子さんから所属していたサッカーチームの応援を断られたことだそう。
「そうか、もう必要ないのね」と感じ、そこからは一人の男子、「個」として接するようになったのだそう。
私はその年ごろの長男に対してどうだったかというと、「私がいないと何もできない子」というレッテルを貼って、いちいち口やかましく接していました。
特に、朝の集団登校の集合場所に、誰よりも早く行く次男に比べ、遅刻しても全く動じない長男にイライラはマックス!
「早くしなさい!」と怒鳴り散らしていたほど。
一事が万事その調子でした。
長男には自分の理想と期待を押し付けていたのだと思います。
子どもが成人するまでに子離れのタイミングは何度かあるでしょう。
そこに乗れるかどうかが、その後の母親の生き方に影響が出ると思うのです。
私の場合、長男が中学に入るタイミングで「ママ」から「あんさん」と呼び方を変えられました。
その時が、長男からの親離れのサインだったのでしょう。
しかし、実際は完璧に見逃してしまっています。
小学生の頃と変わらず、ガミガミの毎日。
長男が高校生になった時には、体力的にも負けてしまい力関係が逆転。
これでは歯が立たない、もう無理~と敗北宣言。
そこでやっと「心配するのをやめよう!」と決心したのです。
将来、働いて自分の力で食べてさえいければそれでよし!
そのための準備は「自分で考え、自分で決めて、自分で行動すればいい」と決めました。
高校卒業後、ひとり暮らしをはじめて、家では出来なかった経験を積んだようで、とても勉強になったそうです。
「窮屈なネクタイを締めてスーツを着た大人なんかになるもんか!」と思っていたのに、
いざ自分が家から出てみると、目の当たりにしたのは、毎日満員電車にゆられ文句も言わずに働く大人たちの姿。
「こんだけしんどいことを毎日やっているんだ」という姿をまざまざと知って、物事の捉え方が全て変わった。
つまり価値観が大きく変化したんだそうです。
今は一緒に暮らしていますが、今でも、当時を思い出しては「あの経験があったからこそ成長できた」と言います。
きっと、たくさん失敗して、たくさん叱られ、その度に立ち直ってきたのでしょう。
私の母は、亡くなる寸前まで子どもの心配をしていました。
親がいつまでも子どもの心配をするのは、子のためではなく自分のためではないかと思います。
それは、自分が安心したいから。
ようするに自分が満たされていないからです。
なので、母親が何よりも自分の時間を作り人生を楽しんでいることの方が大事です。
自分のことで忙しいと、子どもを構っている時間などありません。
それくらいで、親も子どもも丁度いい。
母親が子どもに対してできることといえば、人生を精一杯に楽しんでいる後ろ姿を見せることくらいでしょうか。
あなたの子離れのタイミングはいつでしたか?
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