老いていくこととは。83歳、老々介護の末に一人になった母の言葉に感じる寂しさ

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:もみじ
性別:女
プロフィール:夫とは結婚25年。大学生の娘と大学院生の息子がいます。

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現在83歳になった母は、一昨年の夏に父を在宅介護の末、自宅で看取りました。当時父母は二人暮らし。私は車で片道3時間かかるところに住んでいるため、受験生の子供を抱えてなかなか手伝いにも行くことができず、ヘルパーさんの力も借りながら、食事の世話からおむつ替えまでほとんどすべてを母一人でこなしている老々介護という状態でした。

母はこれまでも自分の両親、父の両親を介護してきた自負もあり、父が倒れて入院したときもそのまま病院に預けてしまうということを自分の中でどうしても許せないようでした。いくら入院を勧められても自分が看ると言って聞かず、半ば強引に父を自宅に連れ帰ってきて、一心に面倒をみていました。

ただ実際のところ老々介護は心身ともにかなり厳しい日々だったようです。力の入らない父の体はそれは大変な重さで、おむつ替え一つ取っても、年を取って小さくなった母に覆いかぶさる身体的負担は相当大きなもの。母は背骨を圧迫骨折してしまいました。それでもその痛みに耐えながらも、自分が看取らなければという強い意志と責任感から他人に助けを求めない母の態度に、このままでは母のほうが倒れてしまうのではないかと心配で仕方がありませんでした。

それほど父の介護が生活のすべてだった母は、父が亡くなった直後は「もう生きている意味がない」と抜け殻のようになってしまい、あとを追うんじゃないかと親戚中が心配で目を離せないほどでした。それも半年が過ぎ1年が経つにつれ克服されたようなのですが、最近ではまた違った理由から「もう生きている意味がない」と言うようになりました。

母は昨年夏に道路で転んでひざの骨を複雑骨折してしまいました。それまで足腰が丈夫で私よりもスタスタと歩いていた母がそろりそろりとしか歩くことができなくなってしまったのです。痛みも相当あるようで、背骨を圧迫骨折したときも辛抱していた母が、手術から半年たっても痛い痛いと言っています。

それに加えて、昨年には仲の良かった友達や幼なじみや同年代の知り合いの方が、自分に会いに来た後に続けて亡くなってしまったとのこと。「きっとみんなお別れの挨拶に来たんだわ。この前まで元気で仲良く話をしていた人たちが次々にいなくなってしまった。もう私一人で生きている意味がない」。電話口でそれは辛そうな母の言葉でした。

私の中では、夫が亡くなった後、妻は生き生きと余生を送っているというイメージがあったので、母も大丈夫だろうと思っていたのですが、考えてみたら母はもう83歳。楽しくすごしているような方々はもう少し年齢の若い方々なのだなと改めて思い知りました。

母とは海外旅行なども一緒に行きたかったのですが、祖父母4人の介護、そして今度は私の子育て、そしてまた父の介護と機会を逃してしまい、今はもう年老いて足も悪くなった母を海外旅行に連れて行くこともできません。そして今は一人で暮らしている母。幸い明るい日差しの差し込むとても住み心地の良いマンションなので、一人でもそこまで心配していなかったのですが、よく考えてみたら母は結婚まで自宅暮らし。生まれてからこれまで一人で夜を過ごしたことがないと気づきました。

一人で過ごす夜は寂しいだろうな、と初めて思いました。今までのように歩くこともできない自分に辛い思いをしているのでしょう。ましてや、身近な人が一人一人と亡くなっていく年代です。

自分の先行きを考えたときにもう楽しみも希望もないと感じてしまうことは、どんなに寂しいことなのでしょう。普段は明るい母の心の中の寂しさを感じ、改めて老いることはこういうことなんだと考えさせられて、私まで寂しくなってしまいました。

 

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