義父がうつ病のトンネルを抜けたのは、長年連れ添った妻のピンチを救うためだった!?/山田あしゅら

こんにちは。山田あしゅらです。

『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を、嫁の目線で綴り始めてもうすぐ10年になろうとしています。

義父がうつ病の長いトンネルを抜け出ることが出来たのは、言い方はおかしいのですが義母の認知症発症のお蔭だと今でも思っています。

前回の記事:義両親の病院通いどうしよう...。ペーパードライバーの私が一念発起!/山田あしゅら

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義母が脳梗塞の発作を起こした時の義父はやや回復傾向にあったものの、まだ時折ソファーに伏せっている状態でした。

ところが、義母の急な大小の垂れ流しを私が大騒ぎで処理しようとしていると義父がソファーから立ち上がり、なんとそれを手伝い始めたのです!

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この妻の一大事に、ぼんやり霞がかかった義父の頭はフルスロットル。

よほど居ても立っても居られなかったのでしょう。ワシがやらねば誰がやる!といった気構えに、いきなりスイッチが入った。そんな感じでした。

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義母は義父の4つ年上。いわゆる姉さん女房ってやつです。

義父が二十歳前にたまたま入院した病院に看護師さん(当時は看護婦さん)として義母が勤めていたことから二人の出会いは始まりました。

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患者と看護師はいつしか恋に落ち、紆余曲折がありながらもその後めでたく結婚いたします。

どちらかというと義父の方が少々熱を上げていたようですが、年下亭主のツッパリなのか? 結婚当初から、かなり亭主関白だったようです。

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一方、義母の方は大正生まれの昔の女性。当時は珍しいキャリアウーマンとはいえ亭主に対しては夫唱婦随のおとなしい妻でした。

60年以上も連れ添った夫婦の機微はまだまだ若輩者の私達にはよく分からないことが多いのですが、 義父が義母を思う愛情の深さを改めて知ったのがこの一件でした。

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義母の窮地を救わんがためソファーから立ち上がった義父は次第に元気を取り戻し、以前のように気持ちも身体も活動的になっていきました。

と、そこまでならめでたしめでたしで終わるところなのですが...

うつのトンネルを抜けたのもつかの間。今度は躁状態に突入してしまったのです。行動は次第にエスカレート。 歯止めのきかない気持ちの高ぶりは色々困った方向に暴走を始めていくのでした。

次の記事はこちら:うつ病から一転、躁状態に...理不尽なクレーム電話をかけまくる義父に神経をすり減らす

山田あしゅら

指定難病及びうつ病の義父(太郎)と認知症の義母(はな子)の介護の日常を アメーバブログ「13番さんのあな―介護家庭の日常」にて綴り始めて10年近く。 山田家介護のキーパーソンでもある50代主婦。

2017年現在、現在義父は88歳・要介護3。入院をきっかけに2017年7月、老健へ入所。 義母は92歳・要介護4。週5日のデイサービスなどでしのぎながら在宅にて介護をしている。 同居家族は夫(としお・60代・会社員)長男(一郎・30代・会社員)。 このほか結婚して独立した次男(二郎・20代・鍼灸接骨院経営)とそのお嫁さん(さくら・看護師)孫(きんとき・2歳)一人暮らしの三男(三郎・20代・会社員)と結構賑やか。 これらの日常をもとに著書『毒舌嫁の在宅介護は今日も事件です!』を2017年7月に出版した。

 

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