こんにちは。山田あしゅらです。
『13番さんのあな―介護家庭の日常―』というブログで義両親の介護の様子を、嫁の目線で綴り始めてもうすぐ10年になろうとしています。
前回に引き続き、義両親の介護のスタートのお話です。
前回の記事:義両親の様子がおかしい...介護生活がはじまった日/山田あしゅら
義母は以前から趣味で絵の教室に通っていたのですが、そこからの帰り道、乗るバスが分からなくなりあらぬ方向へ行ってしまって帰れなくなったり、持って行った画材を全てどこかに置き忘れてきたり...。次第に絵の教室があることすら忘れるようになったのです。
70歳まで看護師をしていたほどしっかりしていた義母。
おかしいとは思いつつも、まだ症状はまだらな状態で、調子の良い時は普段通りの義母でした。
もともとそそっかしいところもある人だったので「年だから仕方ないのかね?」と他の家族も半ばあきれながら受け流していたように思います。
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ところがそれからしばらくたったある日。
義母が風邪で体調を崩すと同時に突然、大も小も垂れ流しになってしまったことがありました。
急いで病院へ連れていき、CTを撮ってもらうと脳の中に無数のポツポツが...。
担当の医師はその画像を私たちに見せながら軽い脳梗塞の痕跡だと教えてくれました。
幸いこの時は何とか症状も収まって入院することもありませんでした。
家に帰ってしばらくは落ち着いているかに見られましたが、義母の『ちょっとおかしい』言動は再び現れては消えを繰り返し、頻度が徐々に増えていったのです。
「今思えば...。」
こういった場面で誰もがよく口にする言葉ですが実際は薄々「ちょっとおかしい」と心の片隅にひっかかるものが必ずあるものです。
しかもこれだけのことが起きているのですからなんらかの対処をしてしかるべきだと、今なら十分思えるのですが、当時はそれが出来ませんでした。
言い訳をしてしまえば、その頃の私は結構忙しく、PTAの役を引き受けていたり、パートの仕事もありました。
ボランティアの活動も楽しみたいし、趣味の書道も続けたい。
子育ても一段落し、やっと自分の時間が持てるようになった、そんな時期だったのです。
そして私の心の中は、
「義両親のいる家には自分の居場所がないから居たくない」
「嫌いな義両親の介護をまさか嫁の自分がするなんて...」
というわだかまりや、どんどん崩れていく二人から逃げたい気持ちで一杯でした。
結果、心の片隅にある「ちょっとおかしい」を忙しさと拒否感が次々打ち消し、問題を先送りしていく...。
そんな毎日だったように思います。
ところが
次の年のお正月。
家族皆で撮った記念写真を見て愕然としました。
そこには生気を失い別人のようになった義母が写っていたのです。
その頃、義母の理解できない行動のひとつに『凝視』がありました。
例えば同じ部屋にいる時など用事もないのに私の顔をじっと見つめてくるのです。
おそらく認知症の影響で自分のそばに居る人物が一瞬誰だか分からなくなったり「さて私は何でここにいるんだろう?何をやっていたんだっけ?」と前後の記憶が曖昧になったり。
そして思わずじっと見つめて記憶の糸を探ろうとしていた。
そんな感じだったのではと思います。
今ならそんな風に義母の事情も想像できるのですが、全てにおいて余裕がなかったあのころは、じっと見つめる義母のことが気持ち悪くてつい声を荒げたり、あちらを向かせたり、私自身も余計に義母の顔を真正面から見ないよう目を逸らすのに必死でした。
そして、写真の表情に驚いた時には、義母の認知症はのっぴきならないところまで進んでしまっておりました。
今思えば...
認知症の怖さも、介護の厳しさも、まだ何も分かってはいなかった。
しかしもう、見て見ぬフリどころではない。
どんどんその渦に巻き込まれていく。そんな私たち息子夫婦でありました。
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