<この体験記を書いた人>
ペンネーム:かっちゃん
性別:女
年齢:42
プロフィール:夫家族と同居する3児の母です。
私が身近な人の死と直面したのは、大学受験前の冬、24年前の18歳のときでした。
父方の祖父が肺がんになってしまったのです。
検査の結果、入院が必要とのことで、その冬は病院近くの祖父母の家で私たち家族も生活していました。
お見舞いに行き、病室で話をして、1週間くらいは平穏に過ぎていきました。
受験生だった私は、祖父母の家のコタツを勉強机代わりに、夜遅くまで苦手な数学の問題を解いていたことを覚えています。
このまま何事もなく、長期入院のような形になるのかなと家族が思い始めた頃、病状が急変。
あくる朝早くに家族全員が病院に呼び出されました。
痛みを必死にこらえ、息も苦しそうな祖父でしたが、集まった家族全員に「ありがとう」とお礼を言っていました。
そのときの祖父の姿は、自分も旅立つときはこうありたいな、と思わせてくれる誇らしいものでした。
そして、最後に私を枕元に呼び寄せ、やせ細った手で、私の手を力強く握り締めてくれました。
涙をこらえきれずに「じいちゃん、死んじゃ嫌だ、死なないで」と、私は駄々っ子のようにすがりつきました。
そんな私に祖父は言ったのです。
「お日様と共に起きて、お日様が沈んだらゆっくり休むんだぞ」
そう最後に言い残して息をひきとりました。
人の死に初めて立ち会ったという衝撃、それが大好きだった祖父であったという悲しみ。
当時はこの祖父の言葉の意味もよく分からないままでした。
夜遅くまで受験勉強をしていると祖母から聞いて、私の健康を気遣っての言葉だったのかもしれません。
それ以上の深い意味はなかったのかもしれません。
それでも20年以上たった今、この言葉を思い起こすと、なぜか毎日の「生き方」を問われているような気になります。
お日様と共に起きて、沈んだらゆっくり休む。
毎日どんな時間の使い方をしているのか、「今」を大切にできているか。
そんなようなことを祖父に聞かれている気になり、思い出すたびに背筋がのびるような感覚です。
太陽の温かい光からパワーをもらっているような気持ちにもなれます。
もちろん、思うようにいかない日もたくさんあります。
それでも、また日は昇る。
祖父の言葉は改めて味わい深く、大切にしたいと思います。
同時に、毎日をお日様と共に大切に生きていけば、最後にはじいちゃんのように、大切な人に感謝しながら静かに逝くことができるかもしれない。
そんなことを考えるのです。
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