40代でがんを患った私。不器用で無口な父が、私のために選んだ見舞いの品が忘れられない

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:みけ
性別:女
年齢:51
プロフィール:両親・兄弟家族と同じ敷地内に住んでいる51歳女性。

40代でがんを患った私。不器用で無口な父が、私のために選んだ見舞いの品が忘れられない 45.jpg

同じ敷地内に住んでいる80歳の父。

昔から無口な父ですが、この頃では年のせいで少し耳が遠くなってきたせいか、返事をするのも億劫なのか更に寡黙さに拍車がかかった気がしています。

でも、私には、子供の頃から甘い父でした。

会話が少なく「不器用だなぁ」と思いますが、私が困るといつも寄り添ってくれました。

そう言えば6年前、私ががんを患った時の事です。

両方の祖父母を入れても家族で私くらいの年齢でがんを経験した人はいなかったので、私に限らず家族で「がんは他人事」という気持ちがどこかにありました。

だから告知された時は、一家で言葉を失ったのを覚えています。

幸い、医師は「がんは悪性なのだけれど、あなたのは悪性ではないよ」と言ってくれましたが、絶望的な気持ちは晴れませんでした。

悪性ではないせいか医師もゆっくり構えていて、手術をしたのは5カ月ほど経ってからです。

麻酔を掛けられるだけでも不安だった当日ですが、手術時間は予定よりも早く、麻酔から覚めるのも早かったそうです。

その日は両親が立ち会ってくれていました。目が覚めた私に色々と声を掛ける母に対して、父はちょっと安心した顔で眺めているだけ。

いつもの事なのでそれで十分だったのですが、なんと2日後に仕事の合間をぬって1人でお見舞いに来てくれたのです。

ポカンとしている私に、普段と違い「どうだ、調子は? 大丈夫か?」などと笑顔すら浮かべているではありませんか。

更にポカンとしているとベッドに近づいて、差し出した手にはお土産が握られていました。

病院近くの農産物直売所でしか手に入らない果汁100%のジュースでした。

私が好きな果物なので、話を耳にして探して買ってきてくれたそうです。

しかも、病室で飲めるようにちゃんと栓抜きもつけて。

驚き過ぎてしまって咄嗟に言葉が出てきません。

「ありがとう」と言うのがやっとでした。

でも、心の中には、「そんなに心配だったんだ」「私の喜びそうな物を考えてくれたんだな」などなど色々な事が駆け巡っていました。

やっぱり私にだけは甘いのかもしれない...。

そんなことを想い、喜びながらも素直になれない自分もいて、相変わらず会話は弾みませんでした。

何となく2人並んで座っていましたが、忙しいらしく、直ぐに帰ると立ち上がりました。

エレベーターまで送って行きましたが、扉が閉まる寸前の、励ますような照れたような笑顔に、病気を苦にしていた心が温まったことを覚えています。

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