「阿弥陀如来の真意」に触れたら「自分の人生を見つめ直す時」SNSで注目のマンガに共感

選ばず見捨てない阿弥陀如来は、悪人さえも救ってくれるの?

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――命は平等。そう聞くと救う命も死に様も選ばない阿弥陀如来が思いつきます。ですが、なぜ阿弥陀如来はどんな命でも救ってくれるのでしょうか。

近藤丸 阿弥陀如来という仏さまは、「どんな人でも救いたい」という願いを持ち、「一回でも念仏を称えたらどんな人でも必ず救う」との誓いを立てられました。その救済の対象には限りがありません。どんな悪人でも救いたいという仏さまですが、ここでいう悪人というのは、「悪を作ってしか生きていけない者」という意味です。つまり誰かと言うと、悪人とは自分(私)のこととなります。「あいつは悪だ」と他の人のことを指す言葉ではないのです。

――念仏をとなえた人は必ず救う。穿った見方をすれば、念仏さえとなえれば誰でも救われるともいえます。阿弥陀如来はなぜそんな誓いを立てたのでしょう?

近藤丸 自分の力ではどうしても修行したり、良い行いを積み重ねたりすることができない人(私)がいるから、このような誓いを立てたのです。自分の力で悟れない人を救わずにいられないというのが、阿弥陀如来のお心なのです。浄土真宗の文脈では、「悪を作るつもりが無くても、悪を犯さざるを得ないのが人間である」というのです。善をしようと思っていても、思うままに善ができないものも悪人ですね。私たちは日々、悪を作っている自覚はないと思います。しかし、何気なく生活をしている中で環境を破壊しているという事実がある。毎日、鳥や豚や牛や魚やいろいろな命を頂いて生きている。そうしなければ生きていけないですし、時にはそれが当たり前となり感謝の心すら無くしているのが、私たちの生活のありようです。

――感謝の心を無くしている...そう言われてドキッとする人も多いのではないでしょうか。

近藤丸 仏教では人間の存在を、深く見つめています。状況によって何をするか分からなかったり、悲しいことがあってもすぐに忘れてしまったりする私たちの在り方には、深い意味での悪が含まれているというのです。そういう視点からすると、「悪いことしても救ってくれるからOK」というのは、浅い人間観から発せられた言葉ではないでしょうか。

 

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