母親の愚痴や悪口を聞き続けていたEさん
Eさんは、面倒見のいい母親と気難しい父親の元で育ちました。Eさんが子どもだったころは、まだ「DV」や「モラハラ」などの言葉がなかったので気づきませんでしたが、父親は身体的暴力こそふるわないものの、精神的な攻撃をしてくるモラハラDVであったことが、30歳を過ぎてからわかりました。
Eさんの父親は、気に入らないことがあると何日も母親とEさんを無視し続けたり、不機嫌をまき散らしたりして、ずいぶんと家族を困らせていたそうです。
Eさんはそのような父親におびえながら、父親の態度に傷ついている母親にも心を痛めていました。Eさんの母親は優しいところもありましたが、「外に家庭内の不幸を知られたくない」という思いが強かったため、父親や親戚付き合いなどのすべての愚痴をEさんに話していました。
Eさんは、そんな母親の愚痴を聞きながら、母親は他人の幸せな話を聞くとすごく悔しそうに顔が歪むこと、反対に他人の不幸や苦労話を聞くと「あの人も大変なのね」と満足そうにしている様子を何度も見て大人になりました。
そのような日々を過ごしたEさんは、気づかないうちに「自分の幸せを表に出すと、誰かを不快にさせるのだ」と思うようになっていたのです。
Eさんは頭では「人の幸せを心から祝える人もいる」とわかっていたつもりでした。けれども実際は、「いつも少しだけでも不幸でいないといけない」「喜んではいけない」「楽しいことは隠さないと」と、喜びや楽しさを満喫することができず、それを誰かと共有することにも抵抗を持つようになっていました。
そんなEさんは結婚をきっかけに、パートナーやその家族を知るにつれて「皆が人の不幸を喜び、人の幸福を妬むわけではない」と本当の意味で理解できたのです。
そこでようやく、「母からの呪いだったのだ」と気づきました。
自分で思っている以上に、親の影響が浸透していたということなのでしょう。
「母が妬む相手は、他人だけじゃない。私が幸せであることも面白くないのだと認められるようになりました」と、少し悲しそうにしながらも強さを感じる様子でEさんは話されました。
「気づかなかったら、私はいつまでも〝ちょっと不幸な自分〟で居続けてしまった。それは〝フリ〟ではなく、本当に不幸を招いていただろうからゾッとします。これからは、自分の幸せを充分に感じ、人の幸福も心から喜んでいきたいと思います」と気持ちを新たにされました。