「SNSの既読ストレス」解消に役立つ「主人公」という禅語をご存知ですか?

SNSの普及が、新たなストレス源になっている――。「世界が尊敬する100人」に選ばれた禅僧・枡野俊明住職はそう指摘します。SNSに振り回されず、穏やかに生きるためには、どうすればよいのでしょうか。そこで、住職の新刊『何を言われても「平気な人」になれる禅思考』(扶桑社)より、繊細な人が傷つかずに暮らすためのエッセンスを連載形式でお届けします。

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「既読」ストレスの解消法

メールとLINEの大きな違いは、自分のメッセージを相手が読んだかどうかが、わかるかわからないか、ということでしょう。あらためて説明するまでもないと思いますが、メールはわからないのに対して、LINEは相手が読んだ時点で「既読」が表示され、それを知ることができます。

その点ではLINEのほうが進化形といえます。しかし、進化が必ずしもメリットばかりをもたらすとはかぎりません。少しばかりやっかいなのはそこです。

自分がメッセージを発信する立場として考えてみましょう。発信した後は、相手がそれを読んでくれたかどうかが気になります。そこで、LINEを開いてみる。「既読」はありません。

「なんだ、まだ読んでないのか。忙しいのかな? いくら忙しくたって、ちょっとLINEを見ることぐらいできるだろう。なにしてるんだ、まったく」

「既読」が表示されるまで、そんなことを何度も繰り返すことになるのではありませんか?その間、いろいろ考えもするでしょう。

「既読」にならないのは、相手が自分を軽んじているんじゃないか、自分からのメッセージが迷惑なんだろうか、もしかすると、自分が嫌われている?......。

もちろん、なんの根拠もないわけですが、次々にマイナスの思いが湧いてきたりするのです。これは、けっこうストレスになりそうです。

逆にメッセージを受けとる側だったら、読んだことは相手にわかっているのだから、すぐにも返信メッセージを送らないと、気を悪くするのではないか、誠意がないと思われないか、嫌われやしないか......といった思いになったりする。

こちらもストレスにつながります。いかがですか、進化はときにストレスのもとにもなるのです。

さて、その解消法ですが、こんな禅語に手がかりがありそうです。

「主人公(しゅじんこう)」

えっ、それって禅語? と思われた人が少なくないと想像しますが、これはれっきとした禅語です。ただし、その意味は、ふつう使われている映画やドラマ、あるいは、その場の「中心人物」というものとは違います。

主体的な自分。それが禅語の意味です。

主体的な自分とは、心がどんなことにもとらわれず、自由自在でいる状態といっていいでしょう。

自分が発信者となったときの「既読」ストレスは、相手に素速い返信を期待していることから起こります。その期待にとらわれているのです。しかし、返信するのは相手ですから、自分ではどうすることもできません。

だったら、期待から〝自由〟になったらいいのです。

相手からメッセージが送られてくれば、わかるわけですから、そのときにLINEを開けばいいし、かりに送られてこなくても、それでいいじゃないですか。期待していなければ、がっかりすることもありませんし、腹が立つこともないですね。

受信者になったときに、相手をあれこれ慮(おもんぱか)るのは、気配りともいえますが、別のいい方をしたら、相手にとらわれていること、相手に振りまわされていることだともいえるのではありませんか?

自分がほかのことで忙しくても、たとえわずかにしろ、返信のために時間を割くわけですから、自分のことよりも相手を優先しているわけでしょう。

とらわれていますね。

そこから自由になったらいい。自分の都合を優先して対応すればいいのです。

相手はそれで苛立ったり、腹を立てたりするかもしれませんが、それはしかたがないことと腹を括りましょう。そのことが原因で仲違いするような間柄なら、そのレベルの関係なのです。

「主人公」についてはこんなエピソードが伝わっています。

中国の瑞巌(ずいがん)という禅の和尚は、毎朝、自分に向かって「主人公?」と問いかけ、自分で「はい」と答えていたというのです。「自由自在でいるか?」「はい、います」と自問自答していたわけですね。「既読」ストレスは、この瑞巌流で解消しましょう。

「主人公」でいれば、「既読ストレス」は消えていく

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「SNSの既読ストレス」解消に役立つ「主人公」という禅語をご存知ですか? 「平気な人」書影.jpg5つの章にわたって、「繊細な人が傷つかないための41の教え」を掲載。SNSでも実生活でも「何を言われても平気な人」になるためのヒントが満載です。

 

枡野俊明(ますの・しゅんみょう)

曹洞宗徳雄山健功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授、庭園デザイナー。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。主な著書に『禅、シンプル生活のすすめ』『心配事の9割は起こらない』などがある。

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『何を言われても「平気な人」になれる禅思考』

(枡野俊明/扶桑社)

「もう心ない悪口に、振り回されない!」繊細な人ほど、心ない悪口に翻弄され、ストレスを溜め込んでしまいます。禅の教えの究極は“動じない心”を持つこと。「世界が尊敬する100人」に選ばれた禅僧が、SNSで振り回されず、穏やかに生きて行く方法を初めて記した注目の新刊です。

※この記事は『何を言われても「平気な人」になれる禅思考』(枡野俊明/扶桑社)からの抜粋です。
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