日本人にとって、最も身近な宗教である仏教ですが「葬祭時のマナーは心もとない...」という人も多いのでは? そこで、仏教関連の著書を数多く執筆する長田幸康さんの著書「これだけは知っておきたい はじめての仏教」から、「お布施の相場」や「墓じまい」また「仏教の歴史」など「これだけは知っておきたい知識」をご紹介します。
【諸法無我】
「私のもの」なんて、ひとつもない!
諸行無常と並ぶ真理が「諸法無我(しょほうむが)」だ。
すなわち、すべてのものごと(諸法)に実体(我)はない。
あらゆるものごとはお互いに依存しあっており、単独で存在しているものは何ひとつないという意味だ。
たとえば「私」は、両親にとっては子どもであり、お店にとっては客であり、国にとっては国民である。
「私」というのは、こうした関係性の中で存在するにすぎない。
「これが私なのだ」という確かな実体はなく、実にあいまいなものなのだ。
しかし、私たちは「これが私なのだ」というイメージを勝手に抱いている。
こうした幻にとらわれてしまうと、鏡に映った自分を見て「私じゃない!」と嘆くことになる。
「私」の幻からは「私のもの」という幻も生まれる。
「私の宝物」もいつかは壊れる。
「私の最愛の人」もいつかは去っていく。
「私の身体」さえ、意に反して老いたり、病にかかったりする。
こんなに思い通りにならないものを、はたして「私のもの」と言えるだろうか?
「私」も「私のもの」もあやふやなものであり、どんどん変化していく。
この真理を知らないことから、思い通りにならない「苦」が生じる。
つまり、「諸法無我」をまず認めることが、「苦」から解き放たれる第一歩。
また、「我」へのこだわりをなくした状態「無我」は、大乗仏教では「空(くう)」という言葉で説かれている。
「私」とは「五蘊」でできている
【五蘊】
●色(しき):肉体・物質
目に見える形あるもの。常に変化し、老い、滅びる
●想(そう):知識・イメージ
「私は○○である」と考え、そのレッテルにとらわれる
●識(しき):認識する心
移り変わるものごとを分析し、分類して認識する心のはたらき
●行(ぎょう):行動を生む意思
「○○をしたい」という思いと、それにとらわれること
●受(じゅ):五感など感覚
感じ方は常に変わり、心地よい感覚を求める
[私って?]
私とは、それぞれとの関係性の中で存在するにすぎない
親→子ども
国→国民
店→客
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